人間は何歳まで長生きすべきか。

  私の遠い親戚のお爺さんが8年前に94歳で死にました。そして今年、その奥さんが百歳になりました。食欲はよいのですが少しボケが入ってきました。そして、その人を介助しているのが70歳目前の未婚の長女です。
  妹もいるのですが結婚して家を出て、今は孫の世話におわれているので数駅しか離れていない所に住んでいても、母親の世話は姉に任せきりになっています。
 
  ところで、人間は何歳まで生きれば幸せなんでしょうか。この親戚を例とすれば、百歳の母親を世話している長女には充分といえないまでも年金の収入があります。もし、長女が結婚していて子供がいたとしたら、百歳の母親を介助する精神的肉体的苦労は軽減されるでしょう。
  また、はた目から見れば、お婆ちゃんと、お父さんお母さんと、子供夫婦と孫もいる幸せな4世代同居家族に見えます。
  しかし、百歳のお婆ちゃんは無収入。70代の父母も定年退職をしている。すると、主たる収入は、百歳のお婆ちゃんからみれば、孫が支えているのです。
  そうです。孫が支えるべき人間は祖母、父母、そして我が子という多人数になります。
 
  親戚のお婆さんは百歳で市から贈り物をもらいました。見た目には幸せな事ですが、私は考えてしまいました。さて、これが本当に幸せなのでしょうか。
  私はすでに古希を過ぎました。昔であれば70歳をむかえられるのは非常にまれな事だったのです。私の父母も70代前半で亡くなっています。
  もし、父母が百歳まで生きていたとしたら、私の生活はどうなっていたでしょう。また、私や女房が百歳まで生きたとしたら、私達は子不幸や孫不幸をする事になるのではないかと考えてしまいました。
 
  生物学的に考えるなら、人間は生殖能力を失った時点で真剣に死にたいと考えたら心臓が停止する神経回路が作動する特徴を得られる様になったらいいのにと思います。
  私は今まで何回も『死にたい』と考えた事がありますが、いまだに性欲があって心臓は停止しません。でも、真剣にそう考えると脈拍は60を切り、数分は正常鼓動に戻らなくできる事もあります。
  でもそれは単なる不整脈なんでしょうか?。暇でリラックスしている時、急に心臓の鼓動が遅くなる事もあります。多少の吐き気は感じますが、さほど苦しくはないので不思議と死への恐れを感じません。