韓国大統領弾劾から見える普遍性。

  まあ、それぞれの国民性があるから韓国の大統領弾劾について他国民が何も言う事はないのだが、韓国の社会構造には人類すべてに共通する普遍性が見えるから表題を隣国大統領の弾劾にしてしまった。
  私が隣国の事件に何を見るかといえば、人間は格差に非常に敏感だという事であり、騒動や犯罪の根底には、形に表れなくても差別、被差別感情が横たわっているのである。
 
  差別、被差別感情のややっこしさは、差別者が感じる落差と、被差別者が感じる落差に大きなへだたりのある事である。
  卑近な『いじめ』を例にすると、いじめっ子はいじめを遊びの延長線にしか感じないが、いじめられっ子はいじめの辛さに自殺さへ考えるのだ。
 
  私は、人間には強い平等意識が内包されている気がする。猿なども階級社会の中で生きているが、主な差は体力と経験と知恵の差から生ずるものである。また、人間に比べれば法律などの無意識下の制約が無いので、食べ物の拾い食いなどは上位者との距離が充分に離れていれば目こぼしされるという自由度も人間よりは高い。
  ところが人間は、体力、経験、知恵、以外にも経済力という階級要素が入ってくる。その上、法律により四六時中管理されている。すなわち、人間は猿よりも多くの制約の中で生活していて、多くの場合、法律までが上位者に有利にできているのである。
 
  人間社会において上位者には、下位者よりも守るべきものが多いので、法律はそれを保護するように定められる。結果的に法律は上位者に有利にできているのである。
  人間が猿の様に上位者の目をかすめて目の前の物を食べれば、大概それは経済的上位者の所有物であるから、法律は食べた者を窃盗の罪で罰する。人間は所有という概念により、所有者からどんなに離れた距離にあっても所有権という権利が生ずる。
 
  ただ、所有権の発生はかなり原始的な感覚らしく、熊などにもそれがあると言われている。例えば熊が登山者のリュックの中の食料を食べると、熊はリュックを自分の所有物と思うらしい。
  だから本来の持ち主である登山者が、熊が放置したリュックを取りに行かない様にと言われている。そう考えると所有権の根は意外と深い気もする。