この世の真の敵は『お金』だってか?

  人混みで携帯電話の呼び出し音が鳴ると、周囲にいる数人はつい携帯電話を見てしまう。これと同様に、コインの落ちる音を聞くと人間は思わずその方向を見てしまう。
 
  私は無線屋だから無線機の分解修理などしていると、時に工具や部品を落としてしまう事がある。
  すると先輩から『ペンチを落とすんじゃあない!!真空管はお前の月給より高いんだぞ(怒)』とか『ドライバー落とすんじゃあない!!下手すると足に刺さるぞ(怒)』とか、その落下音で怒鳴られたものだった。
  ところが、ワッシャーを落とした時は、たいがい黙って振り向かれるだけの事が多かった。ワッシャーの落下音はコインの落下音に似ているのだ。
 
  大昔、科学朝日で読んだ猿での面白い実験があった。実験自体は単純なもので、餌を減らした時と増やした時に、猿の群れにどんな変化が起きるかといういうものだった。
  実験前の予測では、餌が減れば順位の高い猿が餌を独占し、増やせば公平に食べるだろうと思って始めたら、餌が減ると順位の高い猿は下位の猿の拾い食いを目こぼししたが、餌を増やしたら餌を独占して、その餌を守る事に必死になり、事前予測とはまったく逆の結果になった。
 
  そういえば、これに近い話を聞いた事がある。その先輩は珊瑚礁無人島で猛烈な艦砲射撃を受け、戦友の1/3くらいが死んだ。もちろん、食料の備蓄庫も艦砲射撃にやられて食料もすべて失われた。
  生き残った者たちにはその日から飢えとの戦いが始まった。食料集めは、初めは軍隊組織で始まったが、アッというまに階級付けは崩壊し、自分の獲った食料は自分が食べる様になったという。飢餓地獄では兵隊の階級など何の意味も無くなったという。
  東日本大震災では強奪や暴動が起こらなかった事を諸外国は驚異の目で見たという。だが私は思う。世情不安になっても格差が無ければ人間も猿なみに賢いのだ。
 
  猿の実験で猿が必死に守ったのは食料である。これは生命維持に欠かせないので直感的に理解できる。もちろん、餌の中にコインを混ぜたとしても、猿はゴミとして取り除くだけだ。
  片や人間であるが、人間は食えもしないコインが落ちた音にも反応して振り向いてしまう。さらには、猿が食料を必死に守ろうとした様に人間は食えもしないお金を必死に守る。
  動物が振り向くのは食料の匂いであり、それは生命維持に欠かす事ができないから当たり前の習性である。だとすると、コイン(お金)の落下音に振り向く人間は、食料以外のお金(富)という第二の習性を身につけたという事になる。
  そして、それこそが人類のトラブルの元凶となっていると私は思う。
 
  それでは最後に噺家がよく使うくすぐりを『この世では金と女が仇(かたき)なり、早く仇にめぐり合いたい』
  アッ、ついでに蝶々婦人からもう一つ『帰国するピンカートンが忘れ物に気づいて戻ってみると、蝶々婦人が部屋の隅で肩を震わせて泣いている後姿が見えた。そっと近づいてみたら、目の前のお金を見て笑っていましたとさ』(なんか納得できるな~)