人間は時に1つの考えに支配される事がある。

  宇都宮で72歳の元自衛官自爆テロにも近い爆弾自殺をした。自宅を燃やしたり、マイカーを燃やしたあげくに、近くの公園で他人まで巻き込む自爆自殺だった。
  ニュースでは色々な事が暴露され、どれもさもありなんの話ばかりだったが、私は分別ある72歳の熟年が浅はかな結論に固執したのが理解できない。(まあ認知症だったら話は別だけどね)
  私は思う。この人が認知症でないとすると、一つの考えに固執して手段をどんどん深めた気がする。そして、日本人にはそんな気質の人が多い。
 
  私のブログで毎度の事なのだが、今回もイザヤベンダサン著『日本人とユダヤ人』から引用してみよう。
 
  (安全と自由と水のコストという項より引用)
新聞紙上のいわゆる「人生相談」や「女性相談」は、日本人の考え方・生き方を、個々の事情に即してのべているだけにきわめて興味深いが、そのどれを読んでも、ユダヤ人ならこう答えたであろうと思われる解答はない。たった一つだけ、まさにユダヤ人の解答そのものと思われるのがあったので、それをのべておこう。
これは、発明研究家のT氏がS新聞に書かれていたことである。氏のもとには、発明に関して指導や助言を求める多くの手紙が来るのだが、ある日、何をまちがえたのか「女性相談」の手紙がまいこんで来た。そこで氏は、自分の任ではないがとことわりつつも、次のように返事をされたという。
「どんな珍案・愚案でもよいから、これが解決策だと思う案を30ほど書いて送れ。その中から、これが良いと思われるものに○印をつけて送りかえしてあげよう」と。
その返事はこなかった。しかし大分たって、すべての解決したという礼状が来たという。

 
  『日本人とユダヤ人』のトップに書かれたこの文章で、私は思い込み集団という日本人の特質から離脱できた。それまでの私も『結論が先にある』典型的日本人思考で物事を考えていた。すなわち、結論である私の意見に反論された場合、それを切り抜ける補強材料ばかりを探してロジックを組み立てていた。
  しかし、やり方なんて無数にあるのだ。自分で考えられる無数の案を検討し、そこから導かれる最良案なら、どんな横槍が入ろうとも1回は考えているので反論を押しとどめる事ができるのだ。
 
  元自衛官の老人は本当に死にたいと1回は思っただろう。だがしかし、それが結論となり、ほかにも無数にある案を考えずに結論補強の努力を重ね、他人にまで迷惑をかける爆弾を作り実行してしまったのだと思う。(あるいは1つの事しか考えられない認知症であったかもしれない)