平成28年熊本地震と松代群発地震。

  熊本の地震があまりに頻発するので、私は松代群発地震を思い出してしまった。
 
ウィキペディア調べ(一部省略)
  松代群発地震は、長野県埴科郡松代町(現長野市)付近で1965年(昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。
  震源地は皆神山付近。総地震数は71万1341回。このうち、有感地震は6万2826回(震度5:9回、震度4:48回、震度3:413回、震度2:4596回、震度1:5万6253回)を数えた。
  震源の深さは7kmより浅い地震が殆どで、群発地震全てのエネルギーはM6.4に相当する。地殻変動が最大であった場所では、この地震活動の前後で約1m隆起し隆起域の直径は約10Kmに及んだ。また、付近には「松代地震断層」が発見された。
 
  この群発地震で松代と皆神山は有名になり、太平洋戦争当時は皆神山に巨大な地下壕を造り、軍部と昭和天皇がこもって徹底抗戦する計画があった事も知った。
  また、週刊誌などは『皆神山は日本のピラミド』などといったり『宇宙人が造った』などセンセーショナルな記事を書いたりしたものだった。
  私もそれに乗せられた一人で、CB350で皆神山に上り、松代温泉に一泊してきた。当時は源泉のある宿は2軒しかなく、安い方に泊めてもらった。
 
  松代温泉は泉質が変わっていて、石膏が固まる様に温泉成分が湯船の縁などに岩かとも見えるほどに堆積する。肌に触れる感じはツルリとしていた。
  また、群発地震により地すべりが起こり、そこに色の良い粘土が姿を見せた。私は、その粘土で器を作り、松代温泉の成分を釉薬がわりに沈着させたら面白いと考えた。
  ただし、松代温泉の成分が人体に有害なのか無害なのかには考えが及ばなかった。まあ、入浴して大丈夫なのだから釉薬がわりに使ってもよいだろうくらいの認識だった。
  かといって、無線の仕事を辞めてまで粘土にのめりこむ勇気は無かった。無線屋という職業が無い時代であったなら、私は鍛冶屋になっていたと以前ブログに書いたけど、陶芸の世界もあったかもしれない。結局、手仕事で何か作るのが好きというのが私の性格なのだと思う。