老いに対する夫婦の意見の違い。

  私は自分の老いを知りたいのだが、女房は知りたがらない。私からみれば、女房が自分の老いを自覚したくないというのは、女房の怯えにみえる。だが女房からすれば、自分の老いを知りたがる私の方が怯えている様にみえている。
 
  先日は腕時計の事で意見の違いが出た。私は携帯電話があれば腕時計はいらないのだが、女房は携帯をバッグに入れるので腕時計は必需品である。最近、その腕時計が電池を取り替えて1年ぐらいでも時々止まる様になった。
  私は買い替えを提案し女房も買い替えには賛成したが、私は毎日ネジを巻く機械式腕時計がいいと考えていたので、そう提案した。
  女房が怪訝な顔をしているので『ネジを巻くのを忘れたり、時間を合わせるのを忘れたりする様になったらボケだと判る』と自論を話した。
  途端に女房が不機嫌になり「ボケなんて気にせず成り行きに任せればいいじゃないの」と怒りだした。心の中で私は(本当はね。私は、アナタのボケの兆候が知りたいの!!)とつぶやいた。
 
  そして、女房は腕時計の電池を取り替えに近くの時計屋に行った。電池交換が1600円と聞いて電池交換は止めた。
  店員はそんな女房を見て『今は電池交換の必要がないソーラータイプが売れ筋で、これならば電池交換は必要ありません』と婦人用腕時計を勧められたが、今回は買わずに帰ってきた。
  そして出た結論は、私は機械式の腕時計。女房はソーラー式の腕時計を別々に買いに行き、干渉しあわない事となった。
 
  でも機械式なんてどこで売ってんだ?ブモ!!。まあ、銀座の服部時計店にでも行ってみるか。最近は機械式って高いんだろうな。ボケ測定器にあまり金はつぎこみたくないのが私の本音である。