女房はややボケだった。

  12月中旬。真夜中に女房が悲痛な声で私を呼ぶので目が覚め、ガバッと立ち上がったが、いつもの通り部屋は真っ暗なので、普通に立ち上がれば電灯のスイッチの紐が判るのだが、飛び上がる様にして起きたので数秒明かりを点けられなかった。
  ベッドにいないので『どこにいるッ!!』と私も大声を出した。「1階。階段から落ちた」と言うので階段の電灯を点け、1階に下りて1階の電灯も点けた。
  どこを怪我しているか判らないが床に血が流れているので『救急車を呼ぼう』と言うと「いらない。呼ばないで」と言う。
  そして、痛い痛いと言いながらも「オシッコしたい」とトイレの方に行こうとするから、手を貸して排尿だけはさせた。排尿後、自分の流した血を見て、やっと「救急車呼ぼうか」と言った。
 
  病院で診察したところ、背骨の一部の骨が圧迫骨折し、手の指に裂傷があり、頭頂部の近くにコブができていた。ところが、救急搬送された病院には空き病床がない。転院先を探す間に指の裂傷の縫合が行われた。
  医者や看護師が落ちた状況など同じ事を何度も聞いたそうだが、頭部打撲があるので記憶や話し言葉に変化がないか観察していたらしい。
 
  私は日頃の女房の言動変化から、軽いボケを感じ取っていた。また、階段については孫が落ちない様にする事を考えて、孫が来た時には青森ねぶたの絵が描かれたのれんを階段に張っていた。のれんの少し怖い絵のおかげで孫は階段に近づかなかった。しかし、大人は階段から落ちないだろうとそれ以上の対策は考えなかった。
 
  だが、女房は落ちた。私はなぜ落ちたのか考えた。第一原因は、女房の悪習の「明かりを点けると眠れない」である。これは新婚時代からの習慣であった。ボケを感じた頃に、一時カーテンの向こう側に小ランプを点けた事はあるが、数日で女房はそれも拒否した。
  第二原因は、ややボケの頭が状況変化について行けなかったのである。その日は天気が芳しくなかったので洗濯はしなかったのだが、女房は夕方になってから洗濯を始めた。昔のエロ歌に『♪うちの母ちゃん洗濯好きよ♪夜の夜中に竿さがす♪』というのがある。うちの女房も洗濯好き。というより汗臭い下着に我慢できないのだ。
  結局、洗濯物は部屋干しとなり、部屋の様子が変わった。いつもならトイレに起きても方向は間違えないのだが、その時は真っ暗な中で方向を間違え、階段から落ちた。これは、状況変化に頭がついていかなかったのだ。多分、女房の脳は部屋干の洗濯物に、小パニックを起こしていたのだろう。
 
  そして今回、私は女房のボケ対策を考え直さなければならなくなった。ボケても日常生活が突然できなくなるわけではない。生活能力は徐々に衰えていくのだが、小パニックであっても、パニくると瞬時にして思考力は低下する。
  一番難しいのは、パニくった時どこまで思考力が低下するかは、今回の様に日常生活からは推測できない事である。
 
  私は徘徊の初期などこれと同じだろうと考える。よく知っている地元の道でも、通りをたった1本間違えただけで方向感覚が失われ、脳内はパニックになり、引き返さずに進みながら知っている道に戻ろうとする。
  しかし、パニくった頭では元の道と気づかずに横断して別の通りをでたらめに進んでしまう。登山では『迷ったら判る場所まで引き返せ』が鉄則なのだが、冷静でないとこれは難しい。登り続けるならまだしも、楽な下りを進み続けて体力を失い遭難するのに似ている。
 
  一応、女房は迷った時の手段を1つ持っている。それは「一番近い駅はどっちですか」と聞く方法である。とにかく、駅に行けば家に帰る手段が判るのである。まあ、それが通用するのはパニくらないややボケまでだろう。
  30日に退院したが、頭部打撲の後遺症なのか、私の感じる女房の脳力は80%くらいに落ちている。体のリハビリは当然だが、脳のリハビリをどうすればよいか。脳力回復の方が難問である。