昨日は平成天皇の誕生日。

  平成天皇は私より12歳年上である。終戦の時には日光に疎開していたという。
  私は生まれて間もなかったので戦争の記憶は無いが、平成天皇は現人神(あらひとがみ)の子供として誇り高く育ち、そして敗戦後の変化を柔らかな頭に深く刻み込んだ事と思う。
 
  第二次世界大戦(太平洋戦争)は昭和天皇の名の下に行われた。しかし、昭和天皇は戦争を望んだ好戦的な天皇だったのだろうか。たしか昭和天皇の付き人の手記には、昭和天皇は命の危険を感じたと書かれていると聞いた事がある。
  日本国の最高権力者であった現人神の昭和天皇の考えにすべての国民は従うのが当然と私は思うのだが、昭和天皇が『アメリカを滅ぼせ』と言ったのか、軍部の考えに押し流されて開戦に同意したのか、その場の雰囲気は音声記録も画像記録も無いので、今はまったく判らない。
 
  以下は昨日の夜9時54分からテレビ朝日の『報道ステーション』を録画して書き起こしたものである。
 
  この1年を振り返ると様々な面で先の戦争の事を考えて過ごした1年だった様に思います。平和であったならば社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、この事を考えると非常に心が痛みます。軍人以外に戦争によって生命に関わる大きな犠牲を払った人々として民間の船の船員があります。制空権がなく輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。年々戦争を知らない世代が増加していきますが先の戦争の事を充分に知り考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。私はこの誕生日で82になります年齢というものを感じることも多くなり行事の時に間違えることもありました従って一つ一つの行事に注意深く臨むことによって少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。
(ネットで全文が見つからないのでニュースから書き起こす)
 
  現代は象徴天皇だから、天皇は国事に意見を述べることができない。しかし、平成天皇もいつ死んでもおかしくない歳になった。だからかもしれないが、今年の終戦の日にも自分の気持ちを述べている。
  私はそれにも平成天皇の強い反戦意思を感じる。終戦記念日の平成天皇の言葉は8月20日のブログ『安倍首相は運がいい』に書いた。
(リンクは下記の通り)。