老化とは。ボケとは。

  肉体的老化は判りやすい。例えば雨の日に水溜りをピョンと飛び越えようとしたら、飛び越せずにジャボッと落ちてしまうとかで筋力の衰えを知ることができる。しかし、脳の衰えは判りにくいし、自尊心があるので自分のボケを認めるのはなかなかできない。
 
  脳が衰えると、同時に2つの事ができなくなってくる。私も、今年の桜見物の途中で息子の住んでいる近くを通るから、内緒で玄関の内側にビックリプレゼントを置いてくるつもりでいた。
  ところが、息子の住まいの鍵を持たずに出てしまい、玄関先まで行ったのにお菓子を置いてくる事ができなかった。花見は完璧だったのだが、サブの作業だったビックリプレゼントは鍵を忘れて失敗してしまった。
 
  もう少し小さな事でいえば、考えずにできていた事が考えなければできなくなるのが脳の老化だと私は思う。
  今のパソコンはマルチタスクで、インターネットで調べながらワードなどで文章が書ける。ところがOSがMS-DOSだった時にはネットとワードは1台で同時にはできなかった。
 
  人間は日常生活のほとんどは考えなくてもできる。それは意識下のレベルで考えているだけの事である。ところが歳をとると今年の桜見物の時の様に、花見の途中で息子の住まいに寄り、ドアの鍵を開けてビックリプレゼントを置いたら花見を続けると意識しなければポカミスを犯す様になる。
  そして、もっと脳が衰えれば、鍵を忘れずに持ち、ビックリプレゼントを置いて安心したら、息子の住まいの鍵をかけ忘れて帰ってしまうという重大なミスも犯しかねない。
 
  人間の生活というものは非常に複雑であり、無数のサブルーチンの組み合わせで動いている。脳が衰えると無数のサブルーチンの中で抜け落ちるものが出てくる。
  先日は、私より高齢のご婦人が信号のある交差点で、右を見て左を見たのに赤信号の横断歩道を渡ってしまった。左右を確認したから事故にならなかったが、いずれ左右の確認も忘れる様になるかもしれない。これも、正面の信号の確認忘れというサブルーチンの欠落と考えられる。