コンピュータは感情を持つか。

 私はコンピュータが真の感情(心)を持つ事はないと考えている。ソフト的に疑似感情(心)らしきものをシミュレートする事は出来るだろうが、それを感情(心)と呼ぶかどうかは微妙である。
 
 電子脳(コンピュータ)と脳の違いは、電子回路と肉(細胞)の差である。電子脳(コンピュータ)は電子的結合で情報を伝達し、肉(細胞)の脳は神経伝達物質で情報を伝達する。
  そして、コンピュータは完全に回路が絶縁された環境で動作するが、肉(細胞)の脳は神経伝達物質の流動で動作するので、絶縁が不完全である。
  神経細胞には神経伝達物質を作れるという特徴を持っている。同時に神経伝達物質を受け入れられるという特徴もあるので、体のどこの刺激であっても、神経細胞を何個も経由しながら脳に伝える事ができる。
 
 脳も同様であり、脳細胞が放出した神経伝達物質により、次の脳細胞に刺激を伝える事ができる。
  勿論、脳細胞が放出した神経伝達物質のすべてが標的となる次の脳細胞に伝達されるわけではなく、脳内を漂う事もあるだろう。ただし、微量の神経伝達物質が目的外の脳細胞に漂っていっても、その量が次の脳細胞に変化を起こすほどに多くなければ何の変化も起こす事はなく、一見絶縁された電子脳(コンピュータ)と変わらないと考えてよいと思う。
  ただし、神経伝達物質が大量に脳内に放出され漂った場合はどうなるだろうか。脳細胞にはその神経伝達物質がどこの脳細胞から放出されたかを識別する能力はない。すなわち、いつもの隣の脳細胞から放出されたのと変わらぬ動作をしてしまうと思う。
  それは、絶縁性の悪くなったコンピュータが誤動作したり、壊れてしまうのとなんら変わらないと思う。
 
 まあ、それほど大げさに考えなくても、脳は意外と誤動作を起こしているものである。たとえば大きな音を聞いた場合、目に光を感じたりする。芸術家においては音に色を感じたり、匂いを感じたり、味を感じたりと別の感覚も感じるらしい。
  すなわち、自然が膨大な時間をかけて作り上げた脳は肉(細胞)からできていて、それは絶縁の低い、いいかげんな構造である。だから、感情の高ぶりなどから神経伝達物質が多量に放出されると、標的以外の脳細胞も活性化してしまうのではないだろうか。
  私にはこんな経験がある。中兄が子供の時に死んでいるので、私と長兄は年が離れている。長兄は幼い私をからかって私の脳を混乱させ、私が感情を爆発させて泣き叫んで転げ回るので、親からは『カンの強い子』として何度もお灸をすえられた。
 
 脳の神経伝達物質の過剰放出というのは、いわば脳の混乱であり、狂に近い状態である。それは、絶縁性の低下した電子脳(コンピュータ)がまともに動かないのと同じだと思う。
  そして、その様ないいかげんな肉(細胞)の脳はどこかで放出された神経伝達物質が漂う事により、標的外の脳細胞も影響を受け、感情という誤動作が生じるのだと考えてよいのではないだろうか。
  ゆえに、絶縁の完全な電子脳(コンピュータ)は、真の意味での感情を持たないと考えられる。すなわち、一定の電圧で、一定のクロックで、一斉に動作するコンピュータに真の意味での感情は生じない。
  肉(細胞)のいい加減さがいい加減な感情を生み出すのだと私は考えている。そして、どこの脳細胞が神経伝達物質を多量に放出したかも判らずに、快や不快という感情を生ずるのだと思う。