昭和20年代は嘘の時代。

 私の親父も昭和20年代に二冊の本を出版した。自叙伝もどきの小説と故郷の言い伝えを集めた本だった。とにかく、統制と空襲により本が少なくなり、正確?な情報が新聞や雑誌からしか得られない時代だったから、親父の様な素人本でも売れたという。
 しかし、巷を席巻していたのはカストリ雑誌と呼ばれるエログロ雑誌だったそうだ。統制をかけられた戦前体制が崩れ去り、経済も崩れ去り、生きるために理性を失った者達が嘘とエロとグロを出版しまくったという。
 
 私が小学校に入って図書室で読んだ本には、強い毒をもつ木から樹液を取るために死刑囚が風上から木に近づき、無事毒を持ち帰った者は死刑を免れるという話が書かれていた。大人なら判る嘘だが、子供の私は信じた。
 一番怖かったのは旅鼠(レミングス)の話だった。レミングスは個体数が増えると無目的に旅を始め、それは次第に膨らみ、最後はすべてが海を渡ろうとして全滅するという話だった。
 私は、人間も数が増えたらレミングスの様に無目的な行進を始めてしまうのではないかと震え上がった。
 
 そして今。私はいつ死んでもおかしくない歳になったが、時にレミングスの話を思い出し出してしまう。
 イスラム国もそうだし、パナウェーブと呼ばれた宗教団体もそうだったし、勿論オウム真理教もそうであったが、一見統一が執れていそうなのだが、それは組織内のミクロの範囲内であり、マクロでは通用しない統一でしかない。
 そして、それらの組織の暴走がいつもレミングスの話に重なってしまう。
 
 インターネットで情報は瞬時に世界中を駆け回るが、人間の感性が持つ人間的エリアとは意外と狭く、その範囲を超える空間を人間は感性で捉えられないのではないだろうか。
 結局、人間に合う社会の大きさは部族社会くらいが丁度よいのではないだろうか。そして、人間も感性を超える大きさの集団になるとレミングスの様な行動をとるのではないだろうか。
 哀しいかな、私は今もレミングスの話に騙されているみたいだ。