無意味な解散への対抗手段。

 今回の解散は何とも我慢がならない。今回の解散総選挙の意味とは何なのだろうか。
 
 ハッキリ言えば、安倍首相の経済政策は失敗である。私はその事をブログで何度も書いてきた。とにかく、国民の購買意欲。それも低所得者層の購買意欲が向上しない限り経済の回復とは言えないのだ。
 ところが、ここで解散し、安倍が首相に返り咲いたら、安倍は『国民は私の政策を支持した』と言うであろう。
 すなわち、それは政策の失敗を国民になすりつける方法に過ぎない。私はそれを見過ごす事はできない。
 こんな国会議員の身勝手な手法に、主権者である我々に対抗措置は無いのであろうか。法律の定めのままに、我々は煮え湯を飲まなければならないのだろうか。
 
 私は考えた。様々な支配的手法への対抗策としてボイコットという手段があった。すなわち、我々有権者が選挙をボイコットすればよいのだ。
 もし、良識も知性もある主権者が選挙をボイコットして、投票率が10%を切ったとしたら、国会議員は何を感じるだろうか。
 もし、国会議員になれた事だけを喜ぶ様な奴がいたとしたら、そいつは馬鹿だし、国会議員としての資質など無い人間なのだ。
 
 私は今まで国政で棄権した事は1回も無い。だが、今回は投票には行かない。それは棄権ではなく、ボイコットなのだ。