無線のない昔だったら私は鍛冶屋になっていた。

 愛犬ハンナ様の10月8日のブログ『友達のわ』を読みながら九州の道路地図を見ていたら、別府の町の西側に鶴見岳というのがあり、その南に『火男火売神社(ほのおほのめじんじゃ)』という名の神社を見つけた。
 その中の火男という文字に私の目は釘付けになった。火男はヒョットコの事で、口を尖らせ、片目がつぶれ、あるいは赤い目になっている。ヒョットコとはタタラ製鉄のタタラ番の事で、尖らせた口はふいごを表し、つぶれた片目もしくは焼けた片目はタタラ炉の火加減を見て目がつぶれた事を表している。
 
 ジブリアニメ『もののけ姫』に出てくるエボシ御前は石弓を使うタタラ集団の長である。アニメの中でも女達がタタラ(足踏みふいご)を踏む場面も出てくる。砂鉄と松炭を上から投入するタタラ炉は現代の製鉄炉より温度が低いので、製造される鋼には珪素酸化物も混じっている。
 日本の刀鍛冶が鋼を打ち伸ばし、折りたたみ、また打ち伸ばしを繰り返すのは、鋼に微量に含まれる珪素化合物を搾り出すためと言われている。
 
 鍛冶屋には、日本刀を打つ刀匠と呼ばれる最高の刀鍛冶と、農具などを作る鍛冶屋がいた。私なぞは、定住せずに農村を回って鋤や鍬を作り直す野鍛冶になったと思う。
 口にこそ出さねど『俺だって本気になりゃあ刀ぐらい打てら~』と思っているが、ストイックさと根性の無さで、結局は村々を回るうちにムラムラとする女と出会って、その村に住み半農半鍛冶になっていたと思う。
 
 だが、そういう鍛冶屋がその土地の仕事に合った鉈や鍬や鎌などを作っていた。私の好きな刃物に、秋田のマタギが持つナガサがある。細い長い刃物なのだが、握りに特徴がある。
 普通、日本の刃物の握りは木製なのだが、ナガサは刀身と一体化した鉄をパイプ状に丸めて握りとしている。それも完全なパイプではなく、アルファベットのC字状に丸められている。
 ナガサは刃物ではあるが、握りに棒を挿す事により、熊の心臓を突いてとどめをさす槍になるのである。火縄銃では熊を即死させるほどの威力は無く、最後は人間と熊の死闘になるのである。
 死力を尽くした戦いであるがゆえに、マタギは大量虐殺をしないし、熊の死を尊厳あるものとしてとらえ、獲った命により自分の命がいくぶんか永らえた事に感謝する。
 
 私は、そんな生活の中から生まれてきた刃物が好きだ。飾りも無く形が無骨であっても、仕事で使いやすい刃物は、刀の様に無駄に命を奪う事も無く、自分や仲間の命を永らえるために役立つ実用品だと考えている。
 実は、私は菊秀の刃渡り40cmくらいの山刀を持っている。30代前半に、笹薮竹薮蔦雑木の生い茂る土地を買おうとして、下見に行くのにジャングルで活躍する山刀が必要だろうと思って買ったのだが、日本の荒れた森では全然役に立たなかった。一番役に立ったのは地元の人が持ってきた鎌だった。(愚かしい経験だった)