バブルは人生を惑わせた。

 私は株をやった事が無い。バブル期には酒の席で面と向かって『今、株をやらん奴は馬鹿だ』と言われた事もある。当時は、あの好景気が無限に続くと思い込んでいたのだが、バブルははじけてしまった。
 
 バブル後に若い奴から『○○さんが金を返してくれない』という相談を受けた。調べると、独身の若手数人も同様の被害に遭っている事が判り、私の手に負えないと思って上司に報告した。
 上司が調べると大変な事が判った。バブル期に株をやり、信用取引で手持ち資金の10倍まで株運用していたが、バブルが崩壊しそれが借金となった。
 後輩への借金どころではなく、多額の借金をどうするかの問題になった。本人は親から相続した自宅を処分して借金を返そうと考えていたが、バブル崩壊で土地の価格が下がっていた。結局、退職金も加えて返す事になった。
 私が退職のきっかけを作った様で今まで心に引っかかっていたが、数年したら私も早期退社をした。まあ、黙っていてもアナログ無線屋は肩を叩かれる時代であった。
 
 でも、バブルとは何だったのだろう。とにかく日本中が熱病にかかった様に日本の経済躍進を信じ、それは日本人が勤勉だから当然の事だと思い込んでいた。すなわち、銀行屋から株屋からそこいらのオッサンまでもが、神からの当然の褒美の様に思っていた。
 
 ところが、現代の安倍政権の投資偏重主義はどうだろうか。NISAという100万円までは非課税の制度を作り、国民を投資に引き込むというのは眉唾ものである。
 なぜなら、今の預金金利の低いのは、銀行も儲けが薄いというのを物語っている。すなわち、企業が銀行から金を借りていないという事である。
 健全経済ならば、企業は銀行から金を借りて設備投資を行う。銀行はその貸付で利ザヤを稼ぎ預金者に利子として還元する。株屋は企業の設備投資の動きを見て、その企業の株で利ザヤを稼ぐ。
 すなわち、銀行の利子が低いという事は、企業活動が低くいという事である。こんな状況でNISAとは何かを考えてみると、安倍政権は実体の伴わない時期に笛だけ吹いて国民を踊らせ様としている気がしてならない。
 
 バブルは自分自身が熱病にかかったのだから、そのツケは自分が背負わなければならないと思う。だが、もしNISAで失敗したらそれは政府の嘘で騙された事になる。
 大きな資金を持つ政治家はプロに資金を任せ利殖するが、国民はNISAでプロに負けて損をするのではないかと、私は危惧している。それがバブルで学んだ事だった。
(どんな時でもプロは利益を出し素人はそのツケを回される)