土をなめる。

 陶芸家が時々土をなめるのを見た事がある。なぜなめるのか判らなかったが、早期退職をしたので、手慰みに焼き物をやってみようと粘土を買った。そして粘土をなめてみたが味も無く、陶芸家がなめる意味は依然として判らなかった。
 そして、いつ再就職するか判らないので陶芸教室には入らずに自己流で始め、湯飲みとも蕎麦猪口ともつかぬものを作った。
 
 そうこうするうちに、山登りの途中で粘土を見つけた。手で触った感じは悪くない。焼き物になりそうな土だと思った。
 そして、またもプロを真似て、なめてみた。口の中で粘土がザラザラと騒ぐ。市販の粘土では粒子を感じないのだが、山で自然にある粘土質の土は粒度が荒かった。
 技術が伴えば焼締めで荒れた表情を見せる土だろうが、素人の私が捏ねても形にならないか、焼く時に割れてしまうのが想像できた。
 
 人間の指先は誰でも1/100mmの差に気付くというが、口はさらに感度が高い。多分、誰でも1/1000mmくらいは感じ取れるのではないかと思った瞬間であった。