ユダヤ人はユダヤ人。

 ブログに度々書く『日本人とユダヤ人』という本には『ユーダイオスはユーダイオス』という項があります。
 
 そこに、ある新聞に載ったというユダヤ人の定義が書かれています。
 
 『ユダヤ人はユダヤ教徒のことだとも言われるが、ユダヤ人の中にはキリスト教徒もいるからユダヤ教徒ユダヤ人だとは必ずしも言えない ・ ・ ・ 結局ユダヤ人とは自分をユダヤ人と考えている人のことである ・ ・ ・ 』
 
 という引用がある。日本人には別におかしいとも思えない文章だが、イザヤ・ベンダサン山本七平)は、これをユダヤ人を表すギリシャ語のユーダイオスに書き換えてみよというのである。
 すると、ユダヤ人もユダヤ教徒もユーダイオスになってしまい、噴飯ものの文章になってしまうのである。
 
 私の前回のブログ『面白い事を考えちゃった』は、実はこの受け売りです。安倍首相がどんなに言葉のロジックを駆使して『集団的自衛権』の必要性を説明しても、それが外国語に訳された場合、意味が理解されるでしょうか。
 勿論、戦争を放棄した日本の憲法を外国語に訳した場合、そこに『集団的自衛権』で武力を用いると読み取る外国人はいないでしょう。
 まして、安倍首相が国民に語る言葉を外国語に訳しても『ユーダイオスはユーダイオス』のごとくに、意味不明の外国語になるのではないでしょうか。
 
 なおかつ、憲法の解釈変更は明文化されるわけではありません。明文化されない安倍首相の言葉遊びで憲法に記されていない武力行使をしてもよいのでしょうか。
 国際社会は明文化された取り決めで動いています。私は明文化されない憲法解釈で武力行使を可能とする安倍首相のやり方をどうしても納得できないでいます。
 世界中の国が日本を理解するためにも、日本独特の『言外の言』や『法外の法』や『理外の理』(これも『日本人とユダヤ人』からの引用です)でなく、明文化し外国人にも分かる様にするのが正しい道ですから、安倍首相は姑息な憲法解釈でなく改憲すべきです。
 
 長らく行方不明になっている『日本人とユダヤ人』を探しましたが見つかりません。記憶にはありませんが、ヒョットとして誰かに貸しっぱなしで失念してしまったのかもしれません。仕方なく昨日買いました。角川ソフィア文庫で514円(税別)でした。本が小さくなった分、老眼には読みにくくなってしまいました。