感動を共有し共感する。

 オリンピックでは浅田真央ちゃんだけでなく様々な選手が感動させてくれる。もともと人間は群れて生きる生物だから、常に様々な事を共有し共感したがっているのではないかと、私は感じている。
 群れて生きる人間は雑踏の様な集団の中でも孤独を感じてしまう。だから少しのきっかけでも、共通の物事で共感できれば孤独は消し飛んでしまう。
 
 スポーツで感動を共有して共感する様に、仕事でも感動は共有できる。NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん先生』でも、主人公の旦那の町工場で新幹線の部品を作る。そして、新幹線の成功で喜びを共有した。
 NASAの月面着陸でも、そのビッグプロジェクトに携わった人々は月面着陸の成功で大きな感動を得ていたと思う。
 
 現代日本において、仕事でその様な感動をどれほどの人々が味わえるだろうか。技術進歩のスピードが上がり、技術者の技術寿命が短くなり、バブル以前から転職などの機運は高まっていた。
 そして、そんな雰囲気の中でバブルがはじけ終身雇用の習慣は崩れた。派遣社員が増えて仕事の質が変化し、現代は仕事で感動を得にくい時代となった。
 
 日本の現在の経済不況は仕事における感動を共有できなくなったからではないかと、私は考える。
 テレビドラマ『半沢直樹』の中には『部下の手柄は上司の物。上司の失敗は部下の責任』という様なセリフがあった。これと同様に『失敗のすべては派遣のせい』とされてはいないだろうか。
 その様な社内体制にあっては、仕事での感動の共有などあり得ないし、愛社精神なども育ちにくい。そして『物作り日本』は過去の栄光となり、再び帰り咲く事など夢になってしまう。
 
 人はお金が貰えるという理由だけで働くのではない。私は何度も宗教関係のブログを書くたびに『心も満たされなければ人間は幸せになれない』と書いてきた。仕事で得る給料は腹を満たし、仕事で味わう感動は心を満たすのである。
 仕事で心を満たせない社会は国家の衰退を招き、殺伐とした風土を作る事になる。そして荒廃した心は犯罪を誘発し、不安定な社会情勢を招く。知識人は犯罪の多発を貧困のせいにしようとするが、真の原因は労働で心の満足が得られない不満が犯罪を起こさせるのだと、私は考えている。
 なぜなら戦後の貧しさのなかにあっても、皆がより良い生活を目指して頑張ってきた。それは、労働に成し遂げた時の共感があった時代だったと思えるからだ。