少年時代の宝物は肥後守。

 肥後守の値段は覚えてないが、子供の小遣いの10倍100円よりは安かった。多分30~50円くらいではなかったかと思う。
 
 たかが小遣い3日分くらいの値段なのだが、それがもったいなくて何度もナイフを作ろうとした。漬物石の上で五寸釘をたたいて平たくしてヤスリで削って刃をつける。
 一応刃物らしい形になり鉛筆も削れるのだが、いかんせん鉄が柔らかい。焼を入れれば鉄は固くなると聞いていたので、七輪で真っ赤になるまで焼いて水に入れて急冷させる。だけど固くなったとは思えない。焼を入れる前と同じ様に鑢で削れてしまうし、何より困ったのは、急冷した時になぜか曲がってしまう事だった。
 大人になって、日本刀が簡単に言えば刃になるハイカーボンスチール(高炭素鋼)の固くて脆い玉鋼を、粘り気のあるスチールではさんだ3層構造になっている事を知った。
 さらに、焼き入れも単純に刀身を加熱するのではなく、刀身に炭粉を塗り、更にその上に炭粉を混ぜた粘土を刀身に盛り付けて焼き入れする事も知った。
 
 またその頃に日本ナイフギルドの存在を知り、立ち上げに携わった人のお店。歌舞伎座の真向かいにある銀座菊秀に行ってみた。陳列棚には立派な造りのプロ用包丁が置いてあり、私などが買う事も、手に取る事もはばかられた。
 そして、店の隅にはハンドメイドナイフ用の様々な種類の鋼が置かれていた。西洋のナイフは日本の刃物の様に打ち延ばして造るのではなく、鋼をヤスリや砥石で研ぎ減らして作る。その素材用の大小様々な鋼がゴソッと置かれていたのである。
 私の作りたかったナイフは切り出し小刀の形で刃を両側から研ぎ出した物である。なぜなら、日本の小刀は右利き用に片側だけを研いであるので、時に左手で使いたいと思っても使いづらかった。
 そんな思いはあったのだが、お店の品揃えに圧倒されてどの鋼を選べばよいのか相談もできずに、菊秀オリジナルの山刀だけを買って帰ってきた。
 
 後年この山刀は、土地を物色した時に笹の密集した遊休地の下見に役に立ったが、南方のジャングルならともかく、ツタ類の少ない日本の笹薮では山刀よりも鎌の方がもっと使いやすいと感じた。