神様が躊躇する時。

 広島に原爆を落としたエノラゲイテニアン島を出撃する時には、従軍牧師が祝福を与えている。神はそれをすぐ受け入れたであろう。なにせ、敵国は仏教徒の国なのだから。
 
 大航海時代を舞台にした映画(題名は忘れた)に、戦いで負けた方の国王が『神よ、あなたよりも相手の神の方が上なのか』という様なセリフがあった。
 
 さて、ここで疑問が生じる。同じカトリックを信じる中世ヨーロッパの国が戦争をする時、共に同じ神に戦勝を祈る。神も躊躇するのではないだろうか。
 
 神はどんな事で勝利する国を決めるのだろうか。聞けるものなら聞いてみたい。もし聞いたら『簡単な事だ、何もしない事さ』と言うかもしれない。あるいは、『法王に任せてある』かな?多分、そんなところだろう。
 
 判った。願い事には門番が『世界を創る大変な仕事を六日間もされてお疲れだ。今は眠っておられる』と門前払いさせるのだ。

 
(あとは野となれ山となれ ・ 新年早々品の無いジョークでスミマセン)