思いはすれど、体は動かず。

 年をとって一番哀しいのは体が切れなくなる事だろうか。あれもしたいこれもしたいと思いながらも、様々な事がだんだんできなくなってくる。
 
 私は無線屋で食ってきたが、もともとは飛行少年だったからいつも飛行機を操縦したいと思っていた。だが、若い頃には1回の講習料の約1万5千円が出せなかった。今なら月1~2回なら何とかなりそうだが、免許を取る前に自分の背中に翼が生えそうな気がして習えない。
 銃も持ってみたいが連合赤軍浅間山荘事件以来、いきなりライフル銃を所持できなくなり、散弾銃から始めなければならない。目も悪くなり体も弱れば、猟銃をただ持っているだけで猟にも出られない。となれば何のための銃なのか所持する意味がなくなる。
 家事にしても同様であり、家の補修や庭の穴掘りなど、突然女房から頼まれても『今日はムリ~』と言う事もたびたびである。
 
 年をとるという事はそういう事であり、必然的に息子など歳の若い者に仕事を依頼、もしくは命令する様になってくる。長幼の序から息子などはその依頼や命令を実行する。すなわち、自然発生的にヒエラルキー(階層構造)は出来上がっていく。
 ただ、自然発生的なヒエラルキーならば経験豊富な者、欲望の薄れた老人による階層構造なので無理は少ないと思う。だが、自然発生的に発生したヒエラルキーの高位の者の息子などが、親の権威を笠に着て欲望を満たそうとすると下位の者が困る事になる。
 ヒエラルキーの更なる悪さというものは、それ自体に自己保存の働きがあるので、変更、転換、壊滅は極めて困難である。
 
 すなわち、ヒエラルキー(階層構造)といものは群れて生きる生物には自然発生的に発生し、なおかつ知能が高くなるほどに安定度が増すものである。なぜならば、高度な知能を有する生き物になり、ヒエラルキーの上位に位置する者ほど生存に有利となる条件がそろうので、自己保存の原則からも優位な位置を保ち、あるいは更なる優位に就くべく画策するものである。
 こうしてヒエラルキーは存在し続け、時として暴力を用いてでも現状維持を図ろうとするものなのである。そしてそれが権力となる。