核のゴミ。最終処分場はどうすべきか。

 現時点での政府の基本思想は地下に埋める地層処分が有力だが、なんで大深度の地下に保管するのだろう。核戦争でも心配しているのだろうか。
 地層処分の欠点は『去るものは日々に疎し』にある。放射性物質半減期は人間の有史時間よりも長いし、視界から消えると人間は忘れるものである。だから、私は現在の様な地表保管の方が望ましいと考える。
 
 今年は伊勢神宮式年遷宮の年であり、新しい社にご神体が引っ越した。これこそが忘れやすい人間の記憶を新たにする最良の方法なのである。
 危険で目に見えない核のゴミを地下に埋設して忘れてしまうよりは、目に見える地表に保管して、50年から100年で保管施設が古くなったら、別の場所に新たに造るべきなのだ。
 
 奇しくも式年遷宮の年に核のゴミの最終処分場の選定方法が変更された。こんな時だからこそ、我々は先祖の知恵に学ぶべきである。
 地震も噴火も怖くはない。地球の地殻変動であれば観測により退避行動がとれるし、適切に設計された保管設備ならば、それらの災害で核のゴミが散逸する事はない。退避や再保管の時間はとれると私は信じている。
 
 ただ心配事はある。核のゴミの盗難である。とはいえ、セキュリティー技術の向上は目ざましく、鍵と見張りだけの時代とはテクノロジーが違う。
 少なくとも、地下に放置して2~3世紀も経たないうちに施設は老朽化し、知識は散逸し、人々がそれらの危険性を忘れてしまうよりは良い。
 地表保管はコストがかかると反論が出るかもしれないが、忘れ去られた後の教育や掘り起こしての再保管よりは安上がりになるはずである。
 
 もう一つの心配は、退避や再保管が不可能な隕石の直撃である。もし、数10mの隕石が直撃すれば保管設備は壊滅的打撃を受け、核のゴミも空中に放出されてしまうだろう。もし、超大型の隕石の直撃であれば、数100mの地下でも同様であろう。
 
 隕石の直撃を除けば『危険な物こそ常に監視できる場所に保管すべし』である。それでこそ教育と伝承が可能なのだ。
 西欧文明は常にスクラップ&ビルトで更新されてきた。それは朽ちる事のない石の上に築かれたからである。だが、短期間で朽ちる木の上に築かれた東洋文明は、伝承によりはぐくまれてきた。
 東洋文明の長所。あるべきものをあるがままに容認し、見張る事が最良だと私は信ずる。