ケネディ暗殺から50年。

 もうあの暗殺から50年にもなるのかと改めて思った。無線屋にとって、あの暗殺は日米初の衛星中継で日本に映像が送られてきたので、よりインパクトが強かった。
 
 当時の衛星中継は静止衛星ではなく、数時間で地球を1周する軌道衛星だったので、衛星が地平線を越えてから地平線に隠れるまでしか中継ができず、最長でも2時間くらいしか通信できなかった。
 その時の、日本側の中継基地は茨城県の十王にあり、10m以上もある様なパラボラアンテナを動かして刻々と位置の変わる衛星を追尾した。
 この歴史的出来事は就職の前年だったので、無線屋として国際電電を目指してはみたが、落ちた。
 
 当時は海外通信と言えばまだ短波の時代だったが、人工衛星によるマイクロ波通信は着々と国際通信でも使われる様になってきていた。
 無線屋とすれば、短波はアマチュア無線の延長の様なものであったが、マイクロ波となると電波は針金でなく、導波管という銅製のパイプの中を伝わっていく。いわゆる立体回路と呼ばれる技術で作られていて、アマチュア無線のレベルを超えていた。
 
 考えてみれば、私の無線屋人生は短波からマイクロ波への技術変遷と、真空管から半導体への技術変遷。そして、後年はアナログからデジタルへの技術変遷の中にあった。
 そして、完全に乗り遅れて理解できなかったのが、パソコンに始まるデジタル技術であった。技術に追いつけない無線屋は無線業界から消え去るしかなかった。