新しい常識。古い常識。

 ファットとオイルの違いが判らないので辞書を引いてみたら、ファットは獣脂と出ていた。オイルは油脂と出ていたので、自分勝手にオイルは常温で液状の油脂。ファットは固形状の油脂だろうと納得した。
 辞書にはファットの類義語としてグリースも出ていた。仕事をしていた頃、発電機の保守ではグリス点検が日常であり、不足していればグリスアップが欠かせなかった。
 
 そしてグリスという言葉から、頭は捕鯨の問題に飛んでしまった。現在、オーストラリアから『日本の調査捕鯨の実態は商業捕鯨に当たるので中止すべし』と訴えられている。しかし、過去の欧米は産業革命による重工業の機械類のグリスとして盛んに捕鯨を行い、鯨から獣脂のみを取り出し他は捨てていた。
 それに比べると、日本では鯨を食料として食す文化がある。アメリカがアラスカのイヌイットの食文化を守るために捕鯨を行っている様に、日本にも鯨を食す食文化があるのだから、その文化は無視してほしくない。
 
 実はこの捕鯨問題にも常識という問題点が潜んでいるのである。もし、18~19世紀の欧米に捕鯨禁止を叫ぶ人間がいたらバカにされたであろう。鯨油から作られるグリスは産業革命にとって欠く事のできない物だったのだから。
 だが、今の西欧人は『鯨は知性的な生き物である』と言って捕鯨禁止を叫ぶ。自分達が100年ほど前までグリスのためだけに捕鯨をしていた事などおくびにも出さず、恥とも思わずにわめきたてる。
 古き常識の誤りに反省の色も見せずにわめきたてるとは、愚かしき西欧人である。
 
 だがしかし。我が日本をふり返ってみれば、新しき常識の『女性の人権』を判っている人間が『慰安婦』を正当化したがる。また、憲法改正では『ナチス独裁化』の道を賛美する。それら日本の政治家の程度の低さに、私は辟易としてしまう。
 少なくとも、古い常識の誤りを見つけたならば、新しき常識の下に過去を反省し謝罪し、その上で新しき常識により物事を考えるべきであろう。
 
 捕鯨に関しての常識争い。慰安婦に関しての常識争い。憲法改正でのナチスの政治手法の踏襲。すべては人間の持つ『自分に都合の良いものを寄せ集めて正義を気取る愚かしさ』という同根の争いだと、私は思う。