常識は周囲の環境で変化する。

 人間は群れて生きる生き物ですから、群れの中では自然と群れに合わせて自分の行動を変化させます。それは、群れの中で異端とされると群れから排斥されてしまい、追放の憂き目にあってしまうからです。
 群れて生きる生き物は、群れのやり方(常識)に合わせる習性を持っています。そして、群れの常識というものは、大体は群れのリーダーが決めるのです。
 
 昨日のブログに書いた仏教系の新興宗教の信者は教祖の考え方である『先祖供養=お墓』に何の疑問も抱かずに布教の言葉として使っているのでしょう。
 キリスト教系の新興宗教では進化論を認めないので『あなたの先祖は猿ですか』を、やはり疑問も抱かずに使います。それもまたその群れの常識なのです。
 
 常識というものは周囲の環境で変わります。常識が変われば生き方も変わります。人間の場合は、群れの常識に従う事で群れの中での順位が上がるという利益の見返りもあります。
 そうなると、人間は積極的に群れの常識に従います。というよりも、利益を得るために群れの常識に従い、より多くの利益を得ようと行動を積極的に変えるのです。
 
 そんな群れの常識に従って非常識な行いをしたのが、オウム真理教事件です。より高い魂に生まれ変わるための殺人が許容されるとした教団内での常識。信者は疑いもせずにそれに従いました。或いは疑った人もいたかもしれませんが、教団の常識に従う事で教団内での地位が上がり、利益が増えるのならばと行動した人もいたでしょう。
 とはいえ、労働に見合う報酬は社会の常識です。オウム真理教であれ、企業であれ、スポーツであれ、群れの中で成果を上げた者にはそれなりの地位と報酬が与えられて当然です。この社会的常識は、たとえそれが悪の群れであっても同様です。
 
 私が何度も言っている常識を疑うという意味は、群れの常識が群れ以外あるいは社会において正しいかどうかを考える事なのですが、群れの中の個人には群れの中での競争に負けまいとして、群れの常識が社会の常識を逸脱している事に無関心になり、身近な常識の方を重視してしまうのです。
 
 東電が福島第一原発の汚染水が海に流出しているのを参院選投票日の翌日に発表しましたが、東電の隠蔽体質は東電内部では常識だったのかもしれませんし、原発推進自民党から『参院選に敗北したくないから汚染水漏れの公表は選挙後にしろ』と圧力があったのかもしれません。
 私は自民党からの圧力を信じます。なぜなら、政治と経済の癒着は常識だからです。また、東電がそれに応じたのも、会社存続という会社の常識を社会常識より優先させたからだと信じます。