常識はミクロとマクロで変わって当然?

 以前、仏教系の新興宗教が訪ねて来た事があります。そして、何を話したかというと『ご先祖供養はなされていますか』『お墓はございますか』と先祖供養に絡めてお墓の有無を聞かれたのです。そして『お墓を立てて先祖供養をすれば幸せになれますよ』と言うのです。
 私は「これって宗教の勧誘じゃなくて、先祖供養をかたるお墓の訪問販売じゃあね~の」と腹が立ちました。
 
 さて、ここで常識問題です。あなたは子供が親不孝だったら子供に悪しき仕返しをしますか?。常識的には子供を叱り諭しても子供に仕返しはしませんね。
 でも、死んだご先祖は怖い!!。お墓を立てて先祖供養をしない子孫には悪さをして幸せを奪うのです。新興宗教の布教者の言い分をまとめるとそう言っている事になります。
 
 私が無線屋で食っている時、短波のアンテナ設計をした事があります。ロンビックアンテナという1辺が100m以上もある菱形のアンテナなので広い土地が必要になります。私はアンテナ設計でしたが、そのアンテナを張る土地を購入したり借用する担当の者もいました。
 現地調査をした日に、用地担当の者を現地で見かけた事があります。畑で働く土地の所有者に土地借用を切り出すと、若い土地所有者は激怒して殴りかかろうとしました。すると、一緒に働いていた父親が『お前が殴るんじゃあネェ。警察に行くなら俺だ。だから俺が殴る』と割って入りました。
 勿論、その父親が用地担当の者を殴ったわけではありませんが、親という者はそういう風に子供の罪を背負う覚悟があるのです。
 
 だから、けして息子に『親の私が生きるために、お前は死んでくれ』などとは言うわけはありません。
 でも、国家はそれを言います。戦前の日本では『臣民は天皇陛下の赤子である。天皇陛下のために命をささげよ』これが軍国国家の基本的教育方針でした。
 
 一般常識では『親のために息子よ死ね』とは絶対に言いません。これはミクロとマクロで矛盾する常識です。でも、常識というものは教育でも植えつけられるのです。それも、なるべく早く、幼少期から繰り返し聞かせる事により効果が上がります。
 戦前の教育はミクロとマクロで矛盾する事を教えました。しかし、幼少期より繰り返し聞かされる言葉による常識の刷り込みは、常識を疑う気持ちすら奪ってしまうのです。
 
 もう直ぐ広島・長崎の原爆の日がきます。そして、8月15日は68年前に日本が戦争に負けて無条件降伏をした日です。教育により(非)常識を植え付け、その(非)常識すら疑う気持ちも潰した結果の出た日がやってきます。