世界標準の常識は構築できないのか。

 前回も述べましたが、常識というものは民族によって異なります。
 民族とは何かについては2012年11月15日のブログ『国と国家。そして、民族と部族。』に書きましたが、もう一度下記に示します。
 
『民族』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:同じ文化を共有し生活様式を同じくする人間集団。
 2:起源、文化、伝統、歴史を共にすると信ずる事から強い連帯感を持つ。
『部族』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:一定の地域に住み共通の言語、宗教のもとに統治されている共同体。
 
 上記定義からすると、少なくとも民族や部族にあっては常識のブレは少ないはずです。すなわち、民族や部族の様な小さな共同体で常識を守らなければ排斥の憂き目にあわないとも限りません。しかし、民族が異なり、国家が異なり、宗教も異なれば、常識の違う事もありえます。
 特に、国家が違えば常識は異なってしまいます。最近の国際問題でその常識の差を考えてみます。
 
中国新ガス田、挑発か。官房長官「一方的開発認めず」
産経新聞7月19日(金)7時55分配信
 中国国有企業が東シナ海で新たに7カ所のガス田開発を準備しているとの報道を受け、日本政府は18日、中国側に事実関係の確認を求めるとともに、この海域で一方的に開発を進めることは認められないとの立場を強調した。
 ロイター通信が企業関係者の話として伝えたところでは、中国当局への許可申請を予定しているのは、日中中間線付近にある「黄岩2期」の2つのガス田を含む3事業。2015年の生産開始を見込んでいるというが、新事業で天然ガス生産が急増することはないとされ、尖閣諸島沖縄県石垣市)を念頭に置いた中国側の挑発行為の可能性も否定できない。
 一方、日本政府は平成17年、日中中間線の日本側海域の3カ所について帝国石油(現・国際石油開発帝石)に試掘権を与えたが、20年の共同開発に関する日中合意を挟み試掘を見送っている。
 今回の中国側の新たなガス田開発の報道を受けて、菅義偉(すがよしひで)官房長官は同日の記者会見で、日本側の試掘について「発言を控える」と含みを残した。
 菅氏は、事実関係を中国側に確認中とした上で、「中国が一方的に開発するのであれば認められない」と強調。さらに、「その海域(日中中間線付近)で開発するのであれば、強く申し入れていく」と述べ、抗議も辞さない構えをみせた。
 日中中間線付近のガス田では、中国が今月初めに新たなガス田とみられる採掘関連施設の建設に着手したことが判明し、日本政府が外交ルートで抗議したばかり。
 中国側は「自国の管轄海域で行う開発活動を非難される余地はない」と反発していた。
 
中国が東シナ海で新たに7カ所のガス田開発か=中国は「中間線」の前提を否定。
Record China 7月19日(金)10時10分配信
2013年7月18日、環球網によると、ロイター通信は中国の大手石油会社が、東シナ海で7カ所のガス田開発を政府に申請していると報じた。
7月初め、日本側は中国が日中中間線の中国側で新たなガス田施設の建設を計画していることについて抗議した。7カ所のガス田のうち、2カ所は日中中間線付近に位置している。
菅義偉官房長官は18日午前の記者会見で「仮に中国が一方的に開発をするのであれば、日本は絶対にこれを認めない」と述べた。
日本の主張する「日中中間線」について、中国外交部は複数回にわたって「いわゆる中間線というものは日本の一方的な主張であり、中国がこれを受け入れたことはなく、今後も決して受け入れない」と述べており、中間線を前提とした共同開発の話し合いには応じないとしている。
 
 これは日中それぞれの国家の見解ですが、国民は国家の見解を常識として信じると思います。時に、常識は国家により植えつけられる事もあるのです。
 もし、日中中間線について日本人と中国人が話し合ったとすると、それぞれの国民は自分の常識を主張し、譲り合う事はないでしょう。
 
 西郷隆盛は明治6年に征韓論の考え方の違いから政界を去りましたが、その後の日本では征韓論が常識になったのです。でも、それは朝鮮でも常識だったのでしょうか。
 明治維新直後の日本が、日本を植民地化しようとする西欧列強に対抗するためには征韓論が必要だったと、百年以上も前の常識で我々現代人も納得するのが現代の常識なのでしょうか。
 百年以上も前の征韓論は現代の評価でも正しいと言い切ってしまうと、日中中間線を無視する中国をとがめる事ができません。現代も国境線や国際紛争は力の理論が正しいのでしょうか。世界共通の常識というものは存在しないのでしょうか。