常識と非常識の境界。

 私は常日頃から、常識というものは時代によって変化すると言っている。すなわち、常識というものは社会通念だから時代によって変化するものなのである。
 勿論、社会通念というものは時代だけでなく、民族や宗教により変わるものである。
 
 例えば、イスラム原理主義の中には女性の教育は不要と考える社会がある。国際社会からみれば非常識なのだが、その社会においては常識なのだ。
 すなわち、民族や国家が違えば常識は違うのである。
 
 常識の問題点は、それが生活習慣から生じている事により、常識を疑うという事がほとんど無いという点にある。
 常識を疑うというのは広い視点を持つ人か、常識が不都合となる行為を行おうとしている人くらいしかいない。前者は知識人である事が多く、後者は自己中心的人間である事が多い。(或いは犯罪者?)
 
 非常識な人間と付き合うのは大変に難しい。それは、非常識な人の大多数は自分の損失を過大に感じる人である事が多いからだ。
 まあ、一言でいえば幼児的思考の持ち主と言えるかもしれない。それは、幼児が過大な仕返しをする事と同じと考えてよいと思う。
 幼児と話が通じない様に、自己中心的な人とは話し合っても妥協点を探すのが困難である。いわゆる五分五分の解決ができずに、自分に有利な条件でない限り納得しない上に、相手の話を聞かずに自論のみを繰り返すのが常である。
 
 大人の体に自己中な子供の思考。他人との妥協点を探せないかたくなな心。思考を進化させる事ができずに同じ言動を繰り返す愚かしさに恥じぬ人。
 ボケ老人に似ているかも。国会議員にもこんな進化停止の奴がいる気がする。