石原・橋下の選挙公約。

 日本維新の会参議院選公約の基本方針の第5項『外交・安全保障を賢く強くする』の一番最後に『いわゆる慰安婦問題等について歴史的事実を明らかにし、日本国及び日本国民の尊厳と名誉を守る』と書かれている。
 
 私は、日本維新の会は大変な難問を公約にしたものだと驚いている。下手をすればこれはダブルスタンダードになり、政党としての信用を失いかねない問題である。
 私は5月9日のブログ『常識を疑うのは知性だ』で、常識とは時代により変化するものであると述べた。約70年も前の慰安婦問題をどの時点の常識で考えるかという事が、ダブルスタンダードの危険を帯びているのである。
 
 現在の日本の常識では慰安婦問題はどの様に考えられているのであろうか。
 私とすれば、国家公認の公娼制度という管理売春下での女性達は性奴隷だと認識している。だが、公娼制度のあった時代の人々。特に男性は性奴隷などとも思わず『綺麗なベベ着て、美味しい物食べて、いい事してもらって、その上お金も貰える』と考えていたはずである。
 ならば、自分の娘を公娼にするかと言えば『公娼は下劣な女共だ』と軽蔑した。
 これもダブルスタンダードであり、同時代なのに理論的辻つまの合わせようがない。
 
 さて、70年も前の慰安婦をどの様に公約のテーブルに載せるのであろうか。
 『戦時中には公娼制度があり、兵士のための慰安所慰安婦は当時の常識では当然の事であった』と、70年前の常識でゴリ押しするのだろうか。それとも『公娼制度は性奴隷』との現代の常識で論ずるのであろうか。
 すなわち、過去には過去の常識を適用し、現代には現代の常識で対応するのだろうか。それこそが自分に都合のよいダブルスタンダードであり、政党としての品位も信頼も失うやり方である。
 だが哀しいかな。勢いのある選挙演説や、ミクロとマクロをごちゃまぜにした言葉のマジックに選挙民は時に正しい判断を失う。そして、嘘を見破れなくなる。それが人間の脳の持つ性質なのだ。
 
チョット横道
 スタンダード(standard)を辞書で引くと、
 基準、規範、標準、標準、規格、尺度などと書かれている。ダブルスタンダードは2重基準という事になる。しかし判りにくい。
 私流に簡略化すると『ダブルスタンダード=2枚舌』でいいんじゃあないかと思う。
 
そして、余計な例
 私の高校時代の友人に武士道を礼参する友人がいた。武士道のいさぎよさを目指し、友人にもそれを求めるガチガチゴリゴリの武士道好きであった。
 だが、この友人が大きな失敗で友人一同にも迷惑をかけた事があったが、その友人はいさぎよさを示す事はなかった。
 武士道に無縁な友人にまで武士道を押し付けたのだから、自分の不祥事には腹でも切れば言行一致なのにと私は思った。
 まあ、そこまでしなくともウジウジ逃げ回るのではなく、みんなの前で謝罪するいさぎよさを見せるべきだったと思う。