老化を感じた瞬間。

 40歳を過ぎた頃から、図面を書いていて目を外に向けても景色がぼやけて、しばらくしないとピントが合わなくなった。それは老眼の始まりのピントスピードの低下だった。
 先日はテレビで水道橋博士が『み』とか『そ』の書き方が判らなくなった事があったと話していた。私も『く』がどちらへ曲がっていたかド忘れした事があった。
 
 ピントスピードの衰えは焦点を合わせる筋肉の老化、もしくは水晶体の硬化による肉体的変化だが、生活習慣というか考えずに体が動いていた動作というものが、考えないと動かなくなるのは頭の老化の始まりではないのかと思う。
 平仮名をド忘れして書けないのなどその典型なのだろう。漢字はともかくとして、平仮名などは文字の形など考えずに、文章に集中しながらすらすら書けるのが普通である。それは無意識で考えているという事なのだろう。
 
 そう言えば、90過ぎまで長生きした祖母は『葉書を書こうと思っても書く事がない』と言っていた。とにかく必要な事を書いたら後は何を書いたらよいか考えられなくて、あて先も差出人も書かずにポストに入れた事もあった。
 祖母の住んでいた村は小さな村だっやので、文字から誰が書いたかが判り、郵便局の人が祖母に持ってきくれた。祖母はとても恥ずかしそうにそれを話していた。
 
 人間は意識下でマルチタスク処理をして一連の作業をこなしている。脳の老化は本人も気づかず進行し、マルチタスクが上手く行かなくなった時に現れるのがド忘れなのではないだろうか。
 私は子供の頃から書き間違いがあった。『休』を『体』と書いたり、『爪』と『瓜』のどっちがどっちだか判らなかったり、『め』と『ぬ』や『わ』と『ね』などもよく間違えたものである。
 これは単なる馬鹿な子。たぶん死ぬまで直らない。手書きから開放してくれたパソコンがありがたい。(いい時代だな~とつくづく思う)