感情は理性を吹き飛ばす。

 人間は脳が発達したおかげで様々な問題を理性により処理してきた。私は、理性により無駄な争いを避けてきたと信じたい。
 
 JR八ヶ岳高原線甲斐小泉駅の近くに『三分一湧水』という名水百選の1つがある。さらに、この湧水には武田信玄が農民の水争い治めたといういわくもある。
 高原での貴重な湧水をめぐる農民の水争いに、武田信玄は湧水を四角形の枡に受けて3方に分水した。だが、四角の枡の一辺に流入口を作り、他の三辺に流出口があると、視覚的にはどうしても流入口に向き合う流出口に水が多く流れる様な気がしてしまい感情が騒ぐ。
 武田信玄は、その枡に三角形の石柱を立て、流入口に向かい合う流出口への流れを邪魔させたのである。ただそれだけで視覚的不公平感が無くなった。
 百聞は一見にしかず。下記URLでその写真が見られます。
 
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4936.html
 
 
 理性的には、水の量は流出口の断面積で決まるのだが、視覚により生じる感情というものは理性をしのぐ強さを持っている。
 ゆえに、時に『隣の芝生は青い』とか『隣のバラは赤い』など妬みの感情を生み、良からぬ妄想を膨らませてしまう事がある。
 理性は思考により抑える事ができるが、感情は古い脳に起因する情動なので抑える事ができずに、理性の様な新しい脳の活動を吹き飛ばしてしまう。そして争いに発展する事がある。
 
 人間はどこまで進化したら理性や知性で生きる事ができる様になるのだろうか。そして、その時には争いをしなくなるのだろうか。
 私は戦争が大嫌いである。戦争の中で一番嫌いな部分は、非常に大きな格差が生じる事である。最大の格差は死ぬ者と死なぬ者の格差である。そして、死ぬ者と死なぬ者の格差は人為的に行われる。それも大きな格差、いや、差別である。
 
 戦前は徴兵検査があり、これは一定年齢になれば全員が受けた。だが、召集という兵員補充では割り当てられた頭数をどうやって揃えるかを地域の有力者が決めて赤紙を配った。
 それらの者が、家督相続者の長男は除外する暗黙の了解を無視して『誰それは小作人だから』とか『誰それは部落民だ』とか差別的見地から男子を選び、父親から息子まで戦死し、残ったのは母親と娘という家もあった。
 有力者の中には、自分の息子に国粋活動をさせ『うちの息子は普段でもお国のために役に立っている』と兵役逃れをしていたが、戦況が悪くなって『あなたの息子さんほどお国の事を思っている人はいない』と言われて、我が子を出さざるをえなくなった有力者もいたそうだ。
 戦争を始めた奴は戦場に行かないし、戦争を始めた奴の家族も戦場に行かない。もし行ったとしても最前線には出ない。究極の不公平が行われるのが戦争という行為なのである。