旧日本軍でも強姦は罪だった。

 軍隊の規律を守るために、軍隊には警察官の役目をする憲兵がいた。占領した敵国であっても兵士が民間人を強姦すれば軍法会議にかけられた。
 強姦した兵士が軍法会議を逃れたければ女を殺せばよいのだ。理由は『スパイだった』でケリがつく。強姦は親告罪であり被害者が日本軍に訴えないかぎり、兵士は強姦罪に問われる事はないのだ。
 
 アメリカ映画『カジュアリティーズ』はベトナム戦争で少女を拉致し、強姦し、殺してしまう映画だった。強姦を拒み続けたエリクソン上等兵(マイケル・J・フォックス)が軍法会議に告訴するのではないかと、強姦した仲間から命を狙われる。
 そんな映画だった。橋下の言う『どこの国の軍隊でも慰安婦を必要とする』というのは一見正しいが、それにより女性の人権を奪うのは間違いであり、国家により兵士として狩り出された善良な市民をそこまで変えてしまう戦争の残虐性の解決にはならない。
 
 根本の解決策は『いかに戦争をしない様にするか』のはずであり、慰安婦だの何だのかんだのは枝葉末節であり、戦争防止には何の役目もしない議論ならぬ愚論にすぎない。いかに言葉を駆使しても愚行を正当化もできず、被害女性の心を和ませる事もできない。
 愚行にはお詫びしか対処の方法はない。そして、再び戦争を起こさない様に隣国と協議するのが本筋である。
 
 オードリーヘップバーンも少女の頃、靴底に手紙を忍ばせて反ナチスの活動に協力した事があったという。
 もし、それが見つかっていたら、オードリーヘップバーンはドイツ兵に犯された上に殺されていたかもしれない。
 もし、そうなっていたら『ローマの休日』の王女は誰が演じたのだろう。そして『ローマの休日』はあれほどにヒットしただろうか。
 
 戦争では様々な不条理が生まれる。だから、第二次世界大戦の戦禍を肌身で感じた事のない者が戦争の枝葉末節をとやかく言うのはやめよう。ましてや、自国を正当化する様な話をぶち上げるのは絶対にあってはならない。愚行を正当化しても善行にはなりえないのだ。
 理由もなく命を奪われたり、平素は銃など握った事のない国民に人を殺させたり、国家に統制されて国民全体が生活に困窮したという不条理を犯したのだから、2度とそうならない様に失敗から学ぶのが正しく戦争をふり返るという事だと私は考える。
 そうでないと、自国民のみならず他国民までも不条理におとしいれた戦争の実態を見落としてしまい、再び戦争の不条理を犯しかねないのである。