目標だけを見つめると周囲が見えなくなる。

 もう20年以上も前になるが、帰宅時間の地下鉄で人身事故が起きて電車が止まった。迂回経路を探したり、動く様になるまで飲みに行こうなどと話す中に、駅員に噛み付く男性がいた。
 「いつ動くんだ」と言う男性に『回復時間は判りません』と駅員が答えると、男性はさらに激高して「いつ動かせるのかも判らんのか」と詰め寄った。すると駅員は『まだ生きているから動かせません』と答えた。
 激高していた男性も、その言葉で一気に怒りが覚めた。駅員の言葉の裏にある(死んでくれれば迷惑は最小になる)に気づいてしまったのだ。
 
 駅員は言ってはならない事を言ってしまった。多くの乗客の迂回路の相談に答えたり、事故の原因などに答えたりして頭がいっぱいいっぱいだったのだろう。
 (ただいまレスキュー隊によりお客様の救助をしています)と言えずに『まだ生きている』と言ってしまったのだ。
 
 人間は目標だけを見つめると周囲が見えなくなるものなのだ。今回の橋下の慰安婦発言も目標のみを見つめたがゆえに、その発言に轟々たる非難の上がるのに気が回らなかったのだ。
 だがなぜ。橋下は慰安婦発言をしたのだろうか。右傾政治家の安倍首相にすり寄るため『朝鮮女性を慰安婦にした公的記録は無い』とする安倍首相を援護し、私も同じ考えですと表明したかったのかもしれない。
 
 だが、その考えは甘かった。橋下の援護射撃は安倍首相にとって迷惑千万であったろう。
 前回は無様に辞めた安倍首相だが、今回は休養中に万全の体制をとり、財界との協力関係も作って再登場した。
 ゆえに、ベースアップはできなかったものの一時金の支給の成果を得た。そして、現在の円安株高にも成功した。それは緻密な計算があっての事だ。
 同様に、憲法改正にも緻密な計画を立ててきた。まず、外堀を埋める『憲法96条』の改正である。外堀を埋めたその先には『憲法9条』の改正を目論んでいる。
 
 そんな安倍首相の緻密な計算に、慰安婦発言ですり寄ろうとする橋下は迷惑であり、憲法改正の道の真ん中に石を置かれた様なものだ。
 今の安倍首相は、軍国日本の淀んだ滓をかき回してほしくないはずだ。安部首相の頭には、戦後70年近くにもなり、軍隊を嫌う日本人が少なくなった現在、過去の日本軍の暗部をあらわにしない様に憲法改正をしたいのだ。
 『悪法もまた法なり』である。改悪してしまえば、後はその法を行使するだけなのだ。