アメリカのおかしな銃規制論議。

 現在のアメリカでは軍用銃の様に大量の銃弾を連射できる銃を購入できない様にしようという動きがあり、銃賛成派と銃反対派が喧々諤々の論争をしている。
 しかし、私から見るとその議論は単なる所持か否かの方法論を論じているだけで、銃という病根の本質が論じられていない気がする。
 すなわち、アメリカの銃論議は『銃を持つのは国民の権利』と『銃があるから犯罪が起こるのか、犯罪があるから銃を持つのか』という観点でしか論じられていない。
 
 人間の本質である『圧倒的に有利な武器を持つ者は何の理由も無く人を殺す』という本質が置き去られた銃論議など無意味だと気づいていないのだ。
 その議論もまた人間の本質に根ざしている。すなわち、人間は身の回りの普通の事や当たり前の事など議論の対象から外してしまう。勿論、当たり前の事を論じ様とする者など馬鹿にされるのがオチである。アメリカの現在の銃論議は単なる既得権の議論という低レベルな話になっているのだ。
 
 しかし、物事の本質を論じようとすれば、当たり前の事や常識となっている事も考え直してみる必要がある。既得権を守る事に議論が終始し先に進まないならば、それは常識の誤りであるかもしれないのだ。
 人間の本質論でもよいし、倫理観を論議してもよい。今のままのアメリカの銃論議は単にアメリカの恥部を晒し『力は正義なり』という身勝手な国民というイメージを世界に発信するにすぎない。
 
 NHKの衛星放送で流されたドキュメンタリー。ツーソン市での銃の個人売買に個人情報を開示しようという市議会の運動にでさへ、銃擁護派の人は反対意見の中で『お前の頭に弾をぶち込んでやる』と発言する。
 公衆の面前でそんな脅し文句を言う映像に、これが日本に民主主義を教えた国なのかと肌に粟を生じてしまった。
 まあ、それも仕方のない事なのかもしれない。戦前の日本の修身の元となった思想を生んだ中国から、日中国交正常化後に学んだ事は『百人にいう事をきかせるには1人の首を切ればよい』だったのだから。
アメリカも中国も民度の低い国である)