老化で私が不自由を感じる事。

 12月10日のブログ『歯・目・魔羅』で老化の事を書いた。治療した歯はあるが、差し歯などの義歯は1本もない。時に歯の欠ける事はあるが、私の老化による一番の支障は歯よりも目だ。
 
 老眼鏡は必要な時にしか使わないので、読み終えたらそのまま放置してしまう。そしていつも「あれ?老眼鏡はどこだっけ?」と探し回るハメになる。これもまた厄介である。
 だがそれよりも、私の目は左が乱視で、右は40代に中心性網脈絡膜症(症状は加齢黄斑変性症に似ている)を患って、感度の高い黄斑部分の網膜が凸凹になってしまった。文字を見ると文字が歪んで見え、風景は右目の画像の中心部が左目よりも大きく見える。
 車など運転している時には脳が画像補正をして左右の画像の差を感じないが、長時間の運転ではどうしても眼精疲労が出てしまう。
 
 最近はひどい眼精疲労の時には視野の左の端に薄く白い輝きの見える事がある。左端の薄い白い輝きに気づいた時にも、私は交互交互に目を塞いでみた。
 だが、薄い輝きは消えないし、両目を塞いでも見えるので、これは脳による現象だと判った。疲れると出る現象である事から、たぶん左右の画像補正に脳が疲れてそうなるのだと結論付けた。
 
 そろそろ70歳なので、それらをどう評価するかだ。これらの目の症状を車の運転に向かないとするのか、急激な悪化は無いと判断するのか悩むところである。
 車を卒業すると、年に数回行く草津温泉グランドアクシスやスキーを持ち込めなくなり寂しい。また、車の利便性を考えたら手放せなくなってしまうが、ペダルの踏み間違えで事故を起こすかもしれない歳にも近づいている。
 
 ベンツのバネオがマニュアルシフト車だったら迷わずに買い換える。マニュアルシフト車なら踏み間違えてもエンストするし、シフトミスや坂道発進ができなくなれば車をやめる決心もつく。
 ウ~ン。結論とすれば『高齢者はマニュアルシフト車に乗るべきだ』と私は思う。オイオイ結論が違うだろうと自分でも判るが、便利な物を手放す決心はなかなかつかない。