男は女で成長する。

 毎日が日曜日になってから。いや、働いている時にも『私は何のために仕事をしているのだろう』と考えた事が何度もある。
 社会のため?。人に役に立ちたいから?。お金が欲しいから?。認められ賞賛され脚光を浴びたいから?。或いはケネディの演説の様に『国にしてもらうのでは国に何ができるか』のため?。
 いやいや、そうじゃあない。女のためだ。好きな女に笑ってほしいから。好きな女に喜んでほしいから。そのために働いているんだというのが私の答えだ。
 
 子供の頃は、その女が母親だった。たまにテストでよい点を取り『お前はやればできる子なんだよ』と言われると嬉しかった。青年時代に恋人はいなかったので酒ばかり飲む日々を送り、女に褒めてもらう事もなかった。叔父の口利きで女房を貰うと、女房の笑顔のために働いた。
 1人者の時には金が無くて困ってばかりいたので、結婚したら余計に金がかかって生活は苦しいだろうと想像していた。だが、昔から『1人口は食えなくても2人口は食える』の通り、女房のやり繰りで生活ができてしまった。何よりも、女房の金銭感覚は私より確かなので給料を全部渡し、煩わしい金の管理から開放されたのが嬉しかった。
 
 毎日が日曜日になってから、女房に『考えてみれば怠け者の俺がよく働いてこれたな~』と言うと、女房は「私もあなたと一緒に働いていたし、あなたが働きやすい様に色々考えたもの」と言った。
 思わずブフォ~ッと噴出してしまったが、私も薄々は感じていた。大変な仕事を仕上げた時には女房もホッとしていた事を。そして微笑んだ事も。
 一瞬、噴出したものの私は知っていた。女房には直接的な手伝いはできないが、私が仕事に打ち込める様に、私が仕事をあきらめない様に、私が仕事で疲労困憊しない様にしていてくれた事を。そして、仕事の完成を一緒に喜んでいてくれた事も。
 
 女房は『カカァ大明神』である。位的には当然ながら、神様なのだから人間の『関白』よりも上である。女房が『貧乏神』でなくてよかった。(金の管理のできない私の方が貧乏神に近いかも)