私の背骨は左に曲がっている。

 私が真っ直ぐ立つと、左肩が下がっている。最初にそれを指摘したのは仕立て屋の従兄弟に背広を作ってもらった時だった。その時は通勤で左手に鞄を持ち、右手で電車の吊革を握るからだと思った。
 ところが、毎日が日曜日になってもそれが戻らない。市の健康診査の胸部レントゲン写真には背骨の曲がりがハッキリと写っていた。
 
 何でだろうと考えてみて、それは私が右を下にして寝るからだと判った。では、なぜ右を下にして寝る様になったのだろう。そして思い当たった。乳児期の記憶は無いが、幼児期にはいつも母の左側に寝ていた。
 
 昔の嫁の労働はきつく、また嫁入り年齢も若かった。童謡の『赤とんぼ』には「15で姉やは嫁に行き」とある。戦前は二十歳過ぎたら「行きそびれ」とか「行かず後家」と陰口を言われた時代である。また、家電製品の無い時代だったから家事労働もきつかった。
 家事労働のきつさでいえば、洗濯がトップだったと思う。我が家で買った最初の白物家電も電気洗濯機だった。
 そういえば、NHKの朝の連続ドラマ『おひさま』の洗濯シーンでは、主人公がタライと洗濯板の前で洗濯の演技ができなかった。そうだろう。俳優だけでなく、演技指導の監督すら使い方を知らないのだ。
 
 授乳は、そんな家事労働から逃れられる一瞬ではなかったろうか。多分、母は左を下にするのが癖で授乳中に昼寝をしたのだろう。必然的に私は右を下にして乳にしゃぶりついただろう。これがいまだに続く私の寝癖になったと想像できる。
 今のところ健康に何かあるわけではないが、背骨が左に湾曲したレントゲン写真を見てから何となく気にかかる様になった。
 
道草ネタ
 現代のお母さんは添い寝して授乳する事などほとんどないだろう。だが、家事労働で疲れた昔の主婦は添い寝して授乳をする事があり、そして悲劇も起きた。授乳中に母親が寝入ってしまい、乳房で赤ちゃんの口と鼻を覆う乳児死亡事故が時には起きる事があった。
 それは、産まれた時に産湯や産湯後に手拭いや風呂敷を被せてお返しできなかった新生児の間引きの手段であったのかもしれない。私の生まれた頃の太平洋戦争末期や戦後の食糧難の時にはそんな事が私の母の周囲でも起きた。
 産児制限をすればよいだろうとの意見は判るが、1食にかかる金額とコンドーム1個の値段が同じくらいだと、産児制限などできないのだ。