暴走老人=無責任老人

 石原慎太郎は本当に無責任だな~。今度は選挙直前にもかかわらず『核武装』を言い出したか~。それが暴走老人で無責任老人になった軍国少年の成れの果てなのか~。
 
 核武装にしろ、東京オリンピックにしろ、石原慎太郎はもうすぐ死んでしまうから、自分は責任を取らない。自分の存在感を誇示したくて言い出しっぺになるけど、責任は負いたくないのが石原慎太郎なのだ。
 新銀行東京だって多大な損失を都民の税金で穴埋めし、自分自身の責任については何もしなかった。皆が石原慎太郎指導力を信じてついて行くと、いつも地獄に連れて行かれるのが石原政治だ。
 
 私が働いていた時には、石原慎太郎みたいなやつのあだ名は『風呂屋』だった。その心は、有るのは『ゆ~だけ』(言うだけ)の洒落からきている。
 
 石原ワールドが好きな人は信じてついて行けばいいけど、石原の権力欲の影で良い思いをしようとする者は切り捨てられる覚悟を忘れぬ事。石原慎太郎は他人を愛さないし、義理は売っても自分は無視するから見返りは無い。
 その思考の根底は、天皇の名の下に国民を扇動し、プロパガンダで洗脳して死地に送り出した旧日本軍と同じである。
 石原慎太郎の正体は、時代とともに進歩せず旧習に固執した軍国少年が年老いた姿なのだ。この数日は、石原慎太郎の本質を圧縮したエッセンスを見させられた日々であった。
 
 石原慎太郎の破滅的言動は、何か自殺願望の元オウム真理教の元教祖だった麻原彰晃に似て見える。それは石原慎太郎の『死にぞこない気分』から生ずるものなのだ。
 私は2011年4月27日のブログ『死にぞこない気分?これってなぁに?』の中で『死にぞこない気分』という言葉を使った。
 石原慎太郎の心の底には、その『死にぞこない気分』が澱として分厚く積もっているのだ。その個人的『死にぞこない気分』で皆が地獄に引っ張られる必要などさらさら無い。
 石原慎太郎の威勢のよさは死に駆け下りるヤケクソ気分であり、けっして建設的な考えから生じたものではない。
(今の石原慎太郎は死に場所を求めてさ迷う死にぞこない軍国少年なのだ)
 
 『死にぞこない気分?これってなぁに?』は以下のリンクでお越しください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kuranosuke_taira/23812208.html