『ならぬ事はならぬ』という考え方。

橋下代表「核廃絶誰ができるか」広島で発言。毎日新聞2012年11月10日23時48分
 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は10日、核兵器の廃絶について「現実には無理だ。(日本が)米国の核の傘の下に入ることは必要」との認識を示した。全国遊説先の広島市で記者団に述べた。
 橋下氏は「日本は国連の安全保障理事会の理事国でも何でもない。日本は平和ぼけしすぎている。国際機関の中で無視されかけている中で、(核兵器の)廃絶といっても誰ができるのか。現実的な戦略を訴えないといけない」と指摘した。
 また、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則についても、「基本は堅持だが、『持ち込ませず』は日米安保条約で本当に可能なのか。(日本に基地を持つ)米軍の第7艦隊が核を持っていないなんてありえない。国民に開示して議論する必要がある」と話した。
 
 私は橋下大阪市長の政治理念というか理想がいまいち判らない。法律でないものに現実性が必要だろうか。私は、人間が行動する時には心の中に『理想・理念』というものが存在すると信じている。
 日本の憲法には戦争と軍隊の放棄が記されている。もし、憲法が法律と同列で、尚且つ戦争行為を否定しないとしたら恐ろしい記述になる。私は日本の憲法は政治理念を明文化したものと考えている。
 現在の改憲派は政治理念である憲法を法律にしようとしている連中だと思う。中国の諺に『上に方策あらば、下に対策あり。』というのがある。法律には必ず抜け道がある。だから私は憲法の法律化には絶対反対である。
 
 昔、会津藩には『ならぬ事はならぬ』という定めがあったそうだ。論の是非ではなく、『倫理』としての是非であり、人が犯してはならぬ事は論の必要など無いのである。
 非核3原則にしてもしかり。一瞬にして数万、数十万の人の命を奪う核兵器は地球上から一掃すべきであり、論の必要の無い『理想・理念』なのだ。
 私には、橋下大阪市長が非核3原則の一部否定の理念が判らない。同様に橋下大阪市長が政治にどの様な理念を持っているのか、どの様な理想を抱いて国政に出ようとしているのかも判らない。
 
 大昔より、まつりごとを行う者は心の中に理想世界の夢を持ち、政治の世界を上って台頭してきたと思う。そうでなければ、誰もその人を担がないし話も聞かないだろう。多くの支持者は先頭に立つ人の言葉で同じ夢を描き支持するのだ。
 橋下大阪市長は様々な現状の不備を突いて私達を気づかせ鼓舞してくれるが、かといって政治理念は聞いた事がない。だから私は共感できないし、支持しようもない。
 弁護士の橋下大阪市長が法律家としての見方をするのは当然だと思うが、法律も憲法もそれぞれの定めの上には『倫理』としての人間の生き様という文字にできない不文律が存在するのではないだろうか。
 そして政治理念というものは、その不文律の中にこそあるのではないだろうか。
 
広島市長>橋下大阪市長に苦言核廃絶巡る発言。毎日新聞11月14日12時25分
 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長が遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶は「現実には無理。米国の核の傘は必要」などと発言したことに対し、広島市松井一実市長は14日の定例記者会見で「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈し、橋下市長に今後、広島を訪れて被爆の実相を理解してもらうよう求める考えを述べた。
 松井市長は、橋下市長発言を「いろいろな考え方の一つ」としながらも「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べ、政令指定都市の市長が集まる会合などで橋下市長と面会した際に広島訪問を求めたいとした。
 大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している。