私の初めて?のお使い。

 初めてのお使いは年に1~2回の特番だからどこのテレビ局だか覚えてないが、面白い番組である。女房と『あった、あった。うちの子もそうだったね~。』などと言いながら、ハラハラドキドキウルウルして親の目線で見ていた。ところが我が子が大きくなったら、放送時間が長いので別の番組を見る様になってしまった。
 
 私の本当の初めてのお使いは覚えてないが、氷で冷やす冷蔵庫も贅沢な時代だったから、台所仕事を始めた母親に言いつけられて近所の八百屋さんへ大根や葉物野菜を買いに行かされてはいた。覚えているのは、昔の大根はデッカくて重い事くらいだ。
 記憶に残る初めてのお使いは、郵便局に10円の切手を買いに行かされた事だ。家から駅近くの郵便局まで、多分500mくらいあったと思う。まだ小学校にも上がっていない時だったので、1人では行った事のない遠いお買い物だった。
 鮮明な記憶として残った理由は、10円出して渡されたのがチッコイ紙切れだった事だ。八百屋なら10円でデッカイ大根や葉物野菜が買えるのに。それに、たとえ5円でもキャラメルの2個入ったサイコロキャラメルが買えるのに。
 
 10円も出したのに渡されたのはチッコイ紙切れ。『エッ。このチッポケな紙切れしかくれないの?』と、窓口に背を向けて悩んでしまった。郵便局員やお客の大人達の視線に背中を押される様にして表に出たが、足取りは重く、帰り道が遠かった。
 家に帰って母親に切手を渡したのか、祖母に渡したのかの記憶はない。だが、夕ご飯の後で怒られるのではないか、明日は『昨日失敗したから今日のお小遣いは無し』と言われるのではないかと不安で仕方なかった。
 頼まれたお使いが10円切手ではなく葉書だったら、多分これほど強烈な記憶として残らなかっただろう。少なくとも、葉書の方が面積が広いから納得していたかもしれない。
 
 初めてのお使いを見なくなって10年くらいになるかもしれないけど、もう少ししたら親の目線でなく、爺婆の目線で見てしまいウルウルでなく涙を流すかもしれない。昔、年寄りが涙を流すと『歳をとって涙もろくなった』と言っていたが、それを実感する様になりトホホである。
 顔で笑って心で泣いてと気取りたくても、涙の方が勝手に流れやがる。これじゃあ絵にならねえじゃね~か。