石原慎太郎は美空ひばりに似ている。

 歌手としては嫌いだったが、美空ひばりは天才的な人だったと思う。石原慎太郎が天才かと問われれば口を濁すしかないが、美空ひばりとの共通点は直弟子を育てなかった点がそっくりという事である。
 
 まあ、ひばりは天才であり、且つ、ステージママが密着してひばりを守りすぎた。故に、ひばりは弟子を育てられなかった。
 だが、石原慎太郎について言えば、弟の石原裕次郎の方がはるかに器が大きい。裕次郎の器の大きさは石原軍団を作った事でも判る。弟子を沢山育て、今もその弟子達が映画やテレビで活躍している。すなわち、弟子達に食っていく道を作ってやったのだ。
 
 もし、ひばりにあのステージママがいなければ歌手になれたかどうかも判らないが、せめてあのママの器が大きく、ひばりに弟子を育てさせていたとしたら、歌番組の女性出演者の半分はひばりの弟子であったかもしれない。
 歌手でその様な人を探すとすれば、現時点では北島三郎だろう。北島三郎の葬儀では美空ひばりを凌ぐ参列者が集まる気もするが、残念ながら北島三郎は長生きなので、弟子の親は参列できないし、昔からのファンも参列できる年齢を超えている。
 
 人間の器の大きさというのは、ふれ合うほどに人が集ってくるかどうかだ。石原慎太郎の人気というのは怪獣を見る様な興味であり、近づけば踏み潰されるかもしれないから、ふれ合うという信頼の上で見ているわけではない。それが兄弟の器の大きさの違いを示している。