オリンピックは原発より重要か。

 8月24日のブログ『私は消極的原発廃止論者』で、原発は1億人を食わせるための国策事業だったと書いた。国策であったがゆえに政治と企業がくっつき汚職まみれになった自民党政治に、我々は『NO』を突き付けたけど国民を食わせるための国策にまで『NO』と言ったわけではない。
 現在の政治家は景気の浮揚のみを考えて、出てくるアイディアはすべて小手先の短期的施策であり、長期的に産業を育てる理念が無い。
 
 テレビのデジタル化にしても、エコポイントにしても、禁断の消費税増税にしても、すべて一過性の施策である。特に、2020年の東京オリンピックで東日本大地震からの復興と景気浮揚を考えている様だが、オリンピックこそ一過性の最たるもので企業を育てない『お祭り』には大きなツケの不景気がついてくる。
 現時点でオリンピック招致を声高に叫ぶ政治家なんかは政治的センスも経済的センスも百年の計も無いのを自白したに等しく、次回の選挙では落選させるべきである。
 
 バブル崩壊後の『失われた20年』を過ぎても日本の景気は回復しないし、それどころかアメリカ・ヨーロッパの不景気に引っ張られて沈没しかねない状況にある。
 その原因は日本の労働賃金が上昇して産業の空洞化が起こり、日本国内の産業が金融などのマネーゲーム企業に偏ったからだと考えている。物作りこそが実業であり、マネーゲームは実業の影で遊ぶ虚業としか言えない。
 
 今になれば原発の良し悪しは明確だが、1億人の国民を食わせるために、当時としては長期的雇用を満たし、発電以外の産業にも利益をもたらした施策であった。
 それでは、今後はどんな国策を立てるべきだろうか。日本の労働賃金では国際競争に大きなハンディがある。知的で高度な技術がなければならない産業とは何だろう。将来も成長を続けられる産業とは何だろう。
 
 中国の様に外国と軍事的なトラブルを起こしそうな進出でなく、地産地消で多くの雇用をまかなえる施策とは何だろう。
 生活に必要な基本的産業はやはり『食』と『光熱水』だろう。『食』は牧畜も含めて広い意味での農業だが現代日本はバブル以前から脱農業を目指していたし、制約が多くて農業の拡大は難しい。
 原発は『光熱水』の光と熱にあたるが、原発に替わる自然エネルギーなどの雇用が原発を上回るのは難しそうである。
 
 国内産業が無理だとしたら輸出だが、目玉はあるだろうか。今はアップルの製品に追い抜かれてしまったが、昔のソニーの製品には持つ喜びがあった。持つ事がステータスとなる様な物作りだって一つの指標である。とにかく今はオリンピックや芸能など産業を育てない消費だけの『お祭り』に浮かれずに、社会インフラを築く産業を起こすか、海外に向かうなら真似のできない魅力ある商品を作るしかないと思う。
 
(でもそれは何だろう・判らない)