イジメ自殺に込められたメッセージ。

 人間は絶対に黙っては死にません。伝える事はできなくても、必ず心の中に何らかのメッセージを秘めて死んでいきます。自殺者には、自死しなければならないほどに追い詰められた何らかの原因があり、自死者はその状況に対する何らかのメッセージを心に秘めて自死を実行するのです。
 かなり以前、サラ金の暴力的取立てに高齢者夫婦と病親の3人が鉄道自殺した事件がありました。私は取立てが怖くて自死した訳ではないと思っていました。多分、自分達が死ぬ事で暴力的取立てを行ったサラ金に何らかのダメージを与えられるのではないかと、それを信じて死んでいったはずです。
 そして、その様な多くの事件でそれは実現しました。関係省庁が様々な規制をサラ金に課しました。そして、まともなサラ金(銀行系)の収益は低下しました。しかしその反面、闇金暴力団系)が幅を利かせ、今はサラ金でお金を貸してもらえない人々がその餌食となっています。銀行系がやっていたサラ金の薄暗がりに光は当たりましたが、闇の部分は暗さが増してしまいました。
 
 自殺者はメッセージを心に秘めたまま自死していきますので、自死のメッセージが何であったか判りませんが、少なくとも身近な者には何かを伝えたかったはずです。
 それでは、伝えるべき近親者がいない場合はどうなるでしょうか。伝えるべき近親者がいない人が行う最も危険なのが遺言状代わりの『無差別大量殺人』です。秋葉原マツダの工場での理解に苦しむ行動がそれです。
 有識者達は様々な事を言いましたが、あの様な行動になったのは自死のメッセージを受け取ってくれるであろう人を探し出せなかった末の行動なのです。
 
 太平洋戦争の特攻隊の事を考えてみてください。お国のためなのか、或いは誰かのためなのか。少なくとも『我が心を理解してくれる』あるいは『自分の命と引き換えに誰かが(国が)良くなれば』との思いで越えがたい死の一線を越えたはずです。自爆テロを行う人も似たりよったりの思いを抱いて命を懸けるのでしょう。しかし、特攻攻撃をさせた軍部にも自爆テロを仕向けた組織にもそんな思いなど意味はありません。
 まるで、イジメ自殺した今回の事件で『イジメと自殺の関連性は無い』と言い張る学校と教育委員会。それは時代を経ても民族の違いがあっても共通事項として浮かび上がります。そして、それが個と種や個と組織の問題で、それこそが群れて生きる人間が抱える基本的矛盾なのです。(ア~ァッ嫌だと思いながらも結局はここに来てしまった)
 
(イジメ3部作・了)