原発に反対する若者の意見。

 先日、電車の中で若者の話しているのが聞こえ、聞くとはなしに聞いてしまった。原発に反対する話だったが、その中の『原発推進をした奴らは馬鹿だ』という言葉に心がざわついた。
 結果論としての原発推進は愚かな判断だったと私も思う。だが、昭和30年代から始まった原発推進の国策は国民を食わせていく重要な政策であった。
 
 東京オリンピックのあったのが昭和39年で、それは日本が発展途上国から抜け出したセレモニーであった。オリンピック以前の日本産業には高度な品質管理も確立されてなく、高付加価値の工業生産品を輸出して食っていける国ではなかった。
 東京オリンピックに向けて政策的に建設されたのが高速道路と高速鉄道の新幹線だった。だが哀しいかな東名高速を時速100Kmで走り続ける事のできる国産車は無く、新幹線の軌道敷も従来鉄道と同じ割栗石であった。
 
 第二次世界大戦で完膚なきまでに叩きのめされた日本は世界中からの支援で生き、産業回復は朝鮮戦争による隣人の流血で蘇ったのである。だが、まだ輸出で国民を食わせるほどの技術力は備わっていなかったので、何とか国内で食っていく方法を探らなければならなかった。
 
 自動車産業も国内販売を拡大させる国策として日本版国民車構想が練られ、それが日本独自規格の『軽自動車』を誕生させた。免許制度も軽自動車運転免許を新設して簡単に免許取得ができる様にした。
 原子力発電も同様であり、原子炉本体はアメリカから輸入するものの原発建設維持は裾野の広い事業である事から国内雇用をまかなえ、国民を食わせる事ができると国策として始めた事である。
 なおかつ、将来的には原発輸出国になる事も視野にあった事は、現在の実情を見れば判る事である。
 
 私も原発反対派だが若者の様に単純に原発に反対はできない。とにかくその時代の中で食って生きてきたのだ。全世界が必要とする技術レベルも無いあの時代に、1億人の国民を食わせるのに原発以外何があっただろうか。
 超精密加工技術など無かった重厚長大産業の時代に何ができたのか。あの時代に立ち返ってみても、私には1億人を食わせる産業の選定など考える事もできない。これから新しい産業を展開するにしても1億余の人間を食わせるのは大変な事である。
 
 もう一つ断言できる事がある。もし国策としての原発が無かったら、電車の中で話していたあの若者達は大学に入ってはいなかっただろう。