三文判(出来合いの安い印鑑)

 三文判だけでなく二束三文とか三文は安い物に比喩的に付けられる言葉ですが、現代で言えばいくらくらいなのでしょう。落語の『時そば』では二八そばの値段が16文ですから現在の金額にすれば、三文は50円くらいなのでしょうか。とにかく安物という意味で使われます。
 厳密に言うと現代日本に三文相当で買える印鑑は存在しませんが、20年ほど前から彫りの深い三文判が出回り、苗字の種類も増えました。
 
 昔、印鑑は印刀という専用の彫刻刀で手彫りされていました。だから、たとえ三文判でも同じ印形の判は少なく本人性同定の根拠となりましたが、現代の三文判はコンピューター制御の木工ルーターで彫るので文字が非常に似ていて、本人性同定の根拠となりにくくなっています。すなわち文書の偽造防止効果が薄くなってきています。
 
 印鑑の役目は紙などに押印して印影を残す事であり、印鑑の表面に彫られた形が重要ですが、手彫りの印鑑というものは趣があり眺めて楽しい物でした。
 上手な職人の彫った印鑑は掘り下げた部分にも技が光り、ただ凹ませるために彫っただけでなく、彫り下げた底の部分にも印刀で削った痕が残り、時に寄せくる波濤の様にそろっていたり、うろこの様に見える物もありました。
 
 寄席話で恐縮ですが、天才彫刻師の左甚五郎が柱に彫った溝の内側には無数の猿の彫刻がしてあったという噺もありました。職人の遊び心というか、手技の見せ場というか、高い技量の証を残したというのか。『真似できるならやってみな』との挑戦状の様でもありますが、それこそが職人(技術者)の誇りだと思います。
 木工ルーターで削った三文判は彫りも深く文字のエッジも立っていますが、印鑑を眺めて職人の熟練の技の見事さを眺めて楽しむ事はできません。芸術的ともいえる熟達の手技と時間をかけて体得した技術は失われてしまった様です。
 
(高度な熟練の技術が日本の工業立国を支えていたのは事実ですし、巷にはまだまだ名人上手がいるはずです)