鉢呂は子供?でも政治家は皆んな痴呆症!

 『放射能が移ったよ』で辞任した鉢呂前経済産業大臣はいい歳しても『エンガチョ遊び』をやる知恵遅れだと思うが、『任命責任』を叫ぶ野党は繰言を言う痴呆症の老人と同じだ。そして、その繰言そのものが『天災の後の人災である事』を自覚していないのが恐ろしい。
 結局、今日召集された臨時国会も、震災直後の不毛な国会の再現かと思うと、私は政治不在の国に住んでいるという思いで背筋に悪寒が走る。野党は臨時国会の会期について予算委員会も開催できる日数を要求しているが、冒頭から『任命責任』だの『野田総理は国民の審判を受けていない』だの『総選挙で国民の審判を問え』など不毛の議論のためなら長期開催の意味は無い。
 
 火急の問題である震災対応をそっちのけで政権闘争に明け暮れるのは、人間が組織を必要とし、組織に属するからではないかと私は考える。そして、人間とは一人では弱い生き物だから、徒党を組み組織化して生物界の頂点をきわめたとも思っている。
 『エンガチョ遊び』なども組織化の遊びである。誰かを敵?異端?とする事により、組織を強化する。本質的に、勝手気ままな人間を組織化する一番簡単な方法は敵を作る事である。ゆえに、国家は敵国を作り国民の団結を謀ろうとする。
 しかし、組織は組織を維持するために忠誠を誓わせ、時には犠牲すらも要求する。勿論、それに対する利益の還元も約束しているので、組織に属する人間は時に世の中全体の利益よりも組織の利益を優先する。すなわち、自分の属する組織以外の人間など眼中に無い事がある。
 
 しかし、しかしだよ。国会議員がそれで良いのだろうか。それで良いわけは無いよね。特に、今回の様な災害には、せめて国という組織レベルで政治を行ってもらいたい。
 誰の言葉か知らないけれど、国会議員の諸先生方よ『先生と言われるほどの馬鹿でなし』を地で行く事はないだろう。党利党略で毎回同じ事を言わずに、国民目線の仕事をしろよ。