東日本大震災から半年。

 ゴミ箱の無い部屋を掃除するのは大変だと思う。多分、部屋のゴミをあっちにやり、そこを掃除し、あっちのゴミをこっちに持ってきて、あっちを掃除する。結局、ゴミは部屋の中をあっちに行ったり、こっちに来たり。掃除はしても部屋は綺麗になった気がしない。
 東日本大震災の現状はそれに似ている気がする。処分に何数年もかかるであろう瓦礫の山や、いまだに最終処分方法の決まらない放射能汚染土壌。『とりあえず部屋の隅にダンボール箱を置いたから、ゴミはそこに入れといて。』と言われた様な気分であり『部屋に似つかわしくないダンボールがいつの間にかゴミ箱になってしまうのでは。』との不安もある。
 
 そんなふうに尾を引いたのは政府の初動体制の悪さにあると思う。未経験の大災害であり、未経験の原発事故だったのに、野党は与党案にケチをつけるだけだった。実社会であれば、当初案は叩き台であり、皆が知恵を出して改善案や対案を考えてより良い実行案を作ってゆくのに、政治の世界は1ヶ月以上もケチしかつけなかった。
 その上、野党は政権交代の糸口にしようと党利党略に奔走し、被災者そっちのけで責任論を叫び、初動体制の発動を混乱させた。百年の計を持たなければならない者達が目先の事しか見ていないという不幸を晒したにすぎない。
 結局、被災者は政策の後押しもなく徒手空拳で努力しなければならなかった。それは、親から聞いた『朕はたらふく食っている。汝、臣民飢えて死ね。』を彷彿させ、政治家の特権意識と自己保身だけが際立って見えた。
 
 そんなドタバタの半年で定着した我が家の習慣は、冷凍ご飯を最低でも5個は作っておく事である。電気が止まり、冷蔵庫が役に立たなくなって冷凍ご飯が解凍したら、焼きおにぎりの様にしましょうと決めてある。