放射性汚泥の処分場を東京湾と書いたわけ。

 私は無線屋でしたので放射性物質に関する専門知識はありません。しかし、放射性物質が人間に有害である事は知っています。しかも、特殊な有害物質である事も理解しています。
 私が扱った有害物質は化合物でした。ゆえに、何らかの方法により無害化できたり、反対の作用の拮抗物質もありました。しかし放射性物質は元素であり、どの様な事をしても無害化できません。他の元素と化合しても放射線を出し続けます。唯一の無害化の方法は時間をかけて放射線が減少するのを待つしかないのです。
 
 専門家でもない私が放射性汚泥の保管について語るのはおこがましいかもしれませんが、『危険だ何とかしろ』と文句だけを言うのは実社会で働いてきた私にはできません。意見を言う時には何か私見を述べる習慣が身についているのです。
 最初の案は珍案であっても愚案であってもよいのです。最初の案を実社会では『たたき台』といいます。たたき台を改善したり対案を示したりして実行案を作っていくのです。
 
 まずは、放射性汚泥の廃棄場所のたたき台作りに極端な例を考えてみました。仮に、富士山の火口にすべて投げ込んだとしましょう。風が吹けば汚泥は飛散するでしょう。雨が降れば富士山にしみ込むでしょう。清流で有名な三島市柿田川は何十年も前に富士山に降った雨が湧き出していると言われています。放射性汚泥を山頂に投棄すれば何十年か後に人口密集地に湧き出すのです。もし、富士山が噴火したとしたら火口に投棄された放射性汚泥は火山噴出物と一緒に撒き散らされてしまいます。
 
 少なくとも、放射性汚泥による地下水汚染は避けなければなりません。ところが人間には『厄介物は自分から遠ざける(敵から逃げる)』という習性があります。その習性に従って放射性汚泥の廃棄場所を選定すれば、人の住んでいない山中に廃棄したくなると思います。しかし、それは地下水脈の上流であり、どの様な防護対策を取っても地下水汚染の危険性があるのです。
 現在、東京のゴミは東京湾に埋めたてたり、日の出村の山中に埋めています。日の出村ではゴミを投棄する前にゴムシートを全面に張って汚水が下流や地下水に流れ込まない様にしました。そして、そこに投棄されるゴミのほとんどは有機物や身の回りの金属などです。ほとんどの有機物は数百年で分解されるでしょう。もちろん、流出を防ぐゴムシートもそれくらいで分解するでしょうが、その時には有害物質はかなり減っていると思います。
 
 ところが、放射性物質は元素ですから化合しても放射線の放出能力が無くなるわけではありません。それに、半減期の長い放射性物質はゴムシートの寿命よりも長いのです。だから、地下水の水源である山に廃棄する様な選択はすべきではありません。
 また『厄介物は自分から遠ざける』習性に従うべきでもありません。私達のほとんどが源氏物語を原文では読めないでしょう。文字とか言葉は変化するものです。どんなに危険と表示しても、マニュアルを作っても、千年も経てば読めなくなっているかもしれません。それよりも厄介物を身近に保管し、それが危険物である事を口伝えで継承していくべきです。言葉での継承ならば、すべてはその時の言葉で伝えられます。
 
 そんな事を考えて東京湾を放射性汚泥の処分場にすべしと書きました。珍案なのか愚案なのか奇案なのか判りませんが、放射性汚泥処理のたたき台にならないかなと思っています。