菅が嫌いな小沢。

 なかなか辞めない菅に痺れを切らせて、小沢がまたうごめきだした。もし、小沢が本当に民主党を引っ張っていきたいのなら、ここで菅を降ろすべきではない。擁護しないまでも見ぬふりをして無関心を装うのがよい。
 自公の政府攻撃の言いがかりを見ればそれが判る。党利党略に腐心しているから震災と原発事故の対応の不手際しか攻め立てない。菅首相が辞めそうな事を言ったのに辞めないから、今度は辞めない事をつつき回し、先日は海江田大臣を『辞めると言ったのに辞めないのは菅首相と同じだ』と20分以上も同じ言葉を繰り返して泣くまで責めた。
 
 私は5月17日のブログ『福島では失敗したが、浜岡は大丈夫。』の中で「無線仲間には『初めての故障は誰もが初心者』という言葉がある」と書いた。人間が一生のうちに遭遇する事の無い災害に遭ってしまったのだ。経験で動けなければ間違いだって犯す。誰がやってもそれは同じだ。
 また、自公が被災した国民を置き去りにして、災害を政権交代の道具にしようとするのも野党のよくやる手である。失敗を批難して首相を交代させ、次の失敗もまた批難して首相を交代させ続ける。そうやって民主党をボロボロにすれば、次の選挙で自公は政権に帰り咲ける。効果の大きな手法ではあるが、それに付き合わされる被災者はたまらない『天災の後の人災』である。
 
 さて、なぜ小沢が愚かであるかは上記で判る。被災者を置き去りにしても自公は民主党を切り裂きたいのだ。もし、小沢が本当に民主党の事を考えるならば、ここは黙って菅を泳がせておくのが良策だし、大物の風格にも見せられる。
 だけど、また騒ぎ始めた。小沢はあだなの通り『壊し屋』が本質なのだと思う。壊して自分に都合よく組み立てて、自分の思い通りにならなければまた壊す。皆が壊す事に疲れて歓声を上げなくなったら出て行く(逃げる)のが今までのパターンだ。
 人間の行動はパターン化するものだ。特に上手く行ったり、喝采を浴びた手法はパターン化しやすい。よくも小沢は今まで政界で生きてこれたと思う。国会議員はパターン化された行動すら見えない人種らしい。