複雑系産業では多くの人が食っている。

 まだ私が独身だった頃に発光ダイオードが商品化された。その頃の私は若手の無線屋だったので、毎日無線機のデータを記録し、グラフ化していた。他にもう一つ、毎日すべてのパイロットランプのチェックもした。
 当時のパイロットランプは白熱灯なので、数百もあるパイロットランプは毎日の様にどこかで切れていた。しかも、パイロットランプの規格は使われる装置によって異なるので、ランプ交換は単純だが面倒くさい仕事だった。
 発光ダイオードを見て、私は上級無線技術者に「パイロットランプを長寿命の発光ダイオードに変えてください。」とお願いした。すると『お前、百人の人間をどうやって食わせるんだ。』と問い返されて、頭の上には???印が生えてしまった。
 『いいか、パイロットランプを作っている所は小さな工場だ。それでも10~20人は働いている。家族も含めれば百人くらいはパイロットランプ作りで食べているんだ。』
 私は自分の事しか考えていなかったので「エッ」と言葉につまってしまった。するとさらに『いずれは発光ダイオードになるだろう。だが、技術の無い町工場が食って行ける様な方策も無しに切り捨てたら日本は駄目になる。』とさとされた。
 
 今回の震災では、数万点に及ぶ部品から組み立てられる自動車業界は、それらの部品を作る多くの関連企業が関わり、多くの人々がそれで食べている事を再認識させてくれた。原子力発電もそれと同じで、原発の建設から完成後の運転まで、多くの人々がそれで食べている。
 原発には使用済み燃料の安全保管や、事故の影響が尋常でない事を考えれば、原則的には無い方が良い。だが、若い頃にさとされた上級無線技術者の言葉の重みをヒシヒシと感じる。私には原発廃止で失業する人々の食べていく方策を考えずに『原発を廃止せよ』とは言えない。
 多くの人が原発廃止や代替エネルギーの話をするが、その中の何人が原発で食べている人々の事まで考えているだろうか。私が独身だった頃の様に、自分の利益しか考えていない人も大勢いるのではないだろうか。
 
 人は正論で生きているわけではない。明日のパンを求めて盗みもすれば、人を殺す事もあるのだ。正論を振りかざす人の中には、時として他人の命を軽んずる人もいるのだ。
(『日頃の思い』ではなく、『怖い話』に書けばよかったかな?)