自分を傷つける哀しい現実。
先日、福島第一原発の60代の作業員がマスクのフィルターを付け忘れて内部被爆したとニュースで報じていた。そして私の古い記憶が蘇った。私の少年時代。ちょうど朝鮮特需の頃に似たような事があった。
近所のプレス工場の少年工員がプレス機で小指を切断したのだ。原因は連日の徹夜作業で居眠りをし、指を切断してしてしまったという事だった。しかし、現実は連日の徹夜作業に疲れて休みたいという欲求に耐えきれず、自分の指を切断してまで休みを選んだのだった。
近所のプレス工場の少年工員がプレス機で小指を切断したのだ。原因は連日の徹夜作業で居眠りをし、指を切断してしてしまったという事だった。しかし、現実は連日の徹夜作業に疲れて休みたいという欲求に耐えきれず、自分の指を切断してまで休みを選んだのだった。
今、福島第一原発には1200人を超す人々が働いている。しかし、事情が事情で作業員をかき集める事もできないし、作業は熟練者を必要とする。結果として休みも充分に取れない作業がすでに100日も続いている。
人間の思考というものに大差はない。私と同年代の作業員が、朝鮮特需の時の少年工員の様な事を考えても不思議はない。第一、私ならそうする。放射性物質を吸おうが吸うまいが、寿命はさほど変わらないと考えるから。
もっと重大な問題もある。東電の下請けの作業員達の多くが原発周辺の人々であり、自分自身も震災の被害者なのだ。